2012年5月の読みたい本(7日〜11日)























2009年8月の読みたい本(24日〜30日)











































2009年8月の読みたい本(17日〜23日)

ひさしぶりの復活。選書はひさしぶりなうえに、やり方も全く変わったので、少し取りすぎかもしれないし、取った本の傾向も変わっているかもしれない。




































栗本薫さんの訃報に接して

あいかわらず放置中の主です.時の時,ついに,という思いです.

「グイン・サーガ」を買って,読むこと.それは私にとってもはや習慣ともいうべきものでした.つづきが気になるとか,あちらこちらに散りばめられた伏線の行方とか,そういったことを越えて,一年に何回か必ず出会うべき作業,著しく積極性に欠けたものですがライフワークともいうべきものでした.

私がグインサーガを読み始めたのは中学生のとき.当時は39巻の『黒い炎』までが刊行されていました.夏休みのある日,帰宅途中に港区立三田図書館に立ち寄って手に取ったのがはじまりです.あの第1巻は,一昨日訪れた際も三田図書館の2階奥のジュニアコーナーの文庫書棚のほとんど同じ場所にありました.相当にくたびれていましたが,まったく同じ本です.月に何度も立ち寄りますが,なんとはなしに目に止まったのは,どうしてか,それはわかりません.

第1巻から,外伝も含めて約50冊ほどを2週間か3週間で読み切りました.それ以降新刊が出るたびに購入し,数年に一度は1巻から読み返していました.スタフォロスのおどろおどろしさ,ノスフェラスの不思議,イドの谷,海の怪異,沿海州の陰謀,そして蜃気楼の甘酸っぱい恋……サイロンの人間模様,そしてカリナエの風雅.さまざまな情景がなお私の中に息づいています.『風のゆくえ』『パロのワルツ』を読んでいた,その時・場所は,空気,光,温度,ハッキリと記憶にのこっていて,いとおしくてたまらない思い出です.

ストーリー自体は50巻前後から急速に質が落ちたなぁという印象はありましたし,60巻代後半からは文章さえも引きずられるようにひどくなっていったと私は思っています.そして栗本さんの入院以降のあとがきを読むにつれ,この物語は終わらない,そして,この物語の続きを読むことの終わりは近い,そんな思いに駆られるようになりました.とはいえ,まだ数年先のことだろうと思っていたのも事実です.そういった意味で,ついに,という思いとともに,あまりに唐突な知らせでもありました.

私はもともと長いお話を好みます.終わらない,続いてゆくお話の中に心を飛ばす.ふつうに考えれば,現実逃避のような嗜癖です.しかし,だんだんと終わらない物語が終わってゆくという現実に突き当たるようになってきました.一昨年9月には『時の車輪』のロバート・ジョーダンが亡くなりました.そしていままた『グイン・サーガ』の栗本薫がこの世を去りました.彼らは私の身の置き場を持ち去っていってしまった,そんな憾みがあります.きっと完結していても似たような思いを抱くのでしょう.夢の続きと夢の終わりの狭間にあって,また新しい夢を探し求めること,それは無駄なあがきかもしれません.そんな思いを抱くところまで来てしまったことは自覚しておいた方がいいのだろう,と思います.でも,まだしばらくはそうしたい,そうさせて欲しい,と痛切に思うのです.

『グイン・サーガ』はあと3冊,つまり今年中の刊行分はすでにストックされているようです.栗本さんの筆になる未完の最終巻を読み切ったとき,そのときにきっとまた同じ事をかんがえるのでしょう.その冬の日に,わずかでも暖かさの残る時が過ごせればとおもってやみません.グイン・サーガにお別れを告げるときがいつになるか,それはわかりません.でも,いま栗本薫さんにはお別れを告げなければなりません.安らかに眠られることをお祈りします.

小川克彦『デジタルな生活』

「日本の現代」シリーズ。本巻は家電や携帯電話、パソコンなどを通じて、1970年代ころからの社会の「個人化」(個人主義化ではない)が進んでゆくという視点をモチーフに現代日本の技術史・社会史を叙述する。それなりに細かい技術的解説もあるが、常に「日本の現代」というキーワードが著者の頭にはあったらしく、具体的かつわかりやすく話が進められており、IT史が陥りがちな単なる個別事例の集積や理念の列挙という失策を犯していない。この点が非常に高く評価できる。

とにかく読んでいて驚いたのは、本書の叙述の半ば以上が、ほとんど常識として私の頭に入っているということである。換言すれば、さして目新しいことがなかったということだ。普通、専門外の本なら概説書であっても目から鱗という記述がたくさんあるのだが、本書を読んでもそれがなかった。コンピュータ利用のサポートなぞをアルバイトでやっているわけだが、当人が思っている以上に深みにはまっているのかもしれないと思った。

酒井あゆみ『売る男・買う女』

本書は出張ホストを中心に、ウリセンを生業とする男たちへのインタビューを集めたものである。ウリセンというのは1990年代半ばまでは、新宿2丁目で男性たちに春を鬻ぐ少年たちを指したが、その後ホスト・ブームなども経て女性たちにも買われるようになる。現在彼らはもはや男にも女にも売る存在となった。本書はこのような傾向がなぜ生じたか、それを男性たちに聞くことで知ろうとするものである。

残念ながらそのような著者の意図は成功しているとは思えない。インタビューを通じて「売る男」がどのような意識で売っているかはわかるし、彼らが「買う女」にどのような視線を向けているか、あるいは女たちが彼らをどうして「買う」のかについてどのように思っているのかという、それぞれの解釈は知ることができる。たとえば、彼らウリセンの世界では、男に買われた後に風俗にいって「禊ぎ」を済ませることが多いというが、女が男を買うのはその逆のパターンが多いといった解釈である。それはそれで面白い。

しかし著者はなぜかそれを総合的に分析し一定の結論を出すことをしないのだ。結果としてインタビューの垂れ流しとなっており、資料的価値はあるかもしれないが研究としては物足りない。もちろん「売る女」であった著者独自の視点は非常に際だった陰影を彼らの証言に投げかける。しかし、それも段々と著者が共感できるか、そうでないか、という方向に向いてしまい、最終的には自分語り/自分探しに近い叙述となってしまう。この点が残念であり、以前に読んだ同じ著者による『売春論』への違和感は本書にも共通するものである。

喜多由布子『アイスグリーンの恋人』

本書の著者は「帰っておいで」で「[[らいらっく文学賞]]」第25回を受賞した北海道在住の作家。本書も札幌薄野を舞台に、交通事故で片腕をなくしいまや高利貸しとなった男性と、不幸な生い立ちを持ちつつも純真に生きる女性の恋物語。泣き系の純愛物というよりは、すこし昔の文学よりのタッチで描かれる。舞台の結節点となるクラブ沙羅の不思議さ、そして随所に織り込まれるが、しかし主張するほどでもない、北海道の気候、光景、習俗への愛着の語られ方が実に好感が持てる。ぶっちゃけトラウマ系の話ではあるので、群を抜いた傑作ということはできないまでもひまつぶしにはなろう。

齋藤慎一『戦国時代の終焉』

以前から気になっていたもので、ようやく読んだ。タイトル(と副題)から思い描いていたとおりの良書。1574年の豊臣政権成立を決めた小牧・長久手の戦いと同時期の関東では沼尻の戦いが発生した。通例、本会戦は長陣にわたっただけでさしたる成果もないもので、北条氏と北関東諸族で戦われた一連の合戦の一つとしてしか評価されてこなかった。しかし、著者が本会戦の史料収集を進めるうちに当事者以外にも中央政権側や周辺諸侯など総計850点近くの史料が収集された。これらの史料批判により、著者は本会戦を小田原北条氏の関東一統戦略における突破口であったのみならず、東国における小牧・長久手に匹敵する会戦であったとする。つまり、織田信雄徳川家康側が北条氏であり、一方の豊臣側が佐竹・宇都宮をはじめとする北関東諸族であったというのだ。

小牧・長久手ののち紆余曲折を経て徳川は豊臣大名化するが、北条は沼尻の合戦以降に得た政治的優位を利用して一挙に関東一統を図る。徳川という緩衝地帯の存在が、北条をして豊臣の圧力をやわらげ、結果的に惣無事令に反する秀吉の敵とさせてしまったのである。北条氏の滅亡に関しては、通例沼田真田領名胡桃城奪取事件がその契機とされるが、実に北条は小牧・長久手から一貫して秀吉の敵として秀吉側からは見られていたということが語られる。沼尻の戦いと小牧・長久手の戦いから北条氏は豊臣大名化するか滅亡するかの二者択一を運命づけられていたのである。これが「戦国」の終焉であって、もはや関東の半独立という「北条の夢」は少しく時代に遅れた物となってしまっていたのである。

以上のように本書は天正十年代、関東の政治史および関東=中央関係史を全面的に書き改める意義をもつものである。さらに藤木久志の諸論考の成果、あるいは使者の上洛にも莫大な資金がかかること、その徴収法などについてもわかりやすく散りばめ、大河ドラマ的な戦国イメージを多少修正する啓蒙的新書としての役割も十分に果たしている。新書とはかくあるべし、という近年珍しい出版であった。

舛本哲郎, 小須田英章『JR語の事典』

Wedgeの編集者によるJRオーバービュー本。私は乗務用語などのジャーゴン集だとおもって借りてきたのでアテがはずれたわけだが、テツではなくて、かつJRのことを知りたい人には有用かもしれない。鉄分の濃い人にとってはあたりまえのことしか載っていないので読む必要がない。それにしても今日のJRの変わり様はどうだろうか。なにが生活総合サービス業か。エキナカなどといって駅内で商売っ気を出すなど鉄道業の本旨を忘れたかのような腐臭が漂っている。駅に人を囲い込んで改札から出さず、エキナカのチェーン店に人を呼び込もうとする試みで、やはり駅前はさびれ、ますます日本の地域の多様性は失われる。地域のあり方を維持したまま、いかにして地域間の風通しをよくしてゆくかが公益をも担う鉄道業の役割ではないのか。インフラが鉄道か道路かというだけで、郊外道路沿い大型店とエキナカで変わるところはない。せめてパチンコ屋を作らない良識くらい期待するのは無駄なことだろうか。

『アボカド バンザイ!』

[[アボカド]]を多少ポップ風味に紹介する本。100ページ強で1400円と少々高いが、ブックデザイン・レイアウトにすぐれた良書。完全な料理書ではなくて、レシピは全体の半分ほどでちょうどよい分量。内容も2人分表記となっており、またアボカドは1/2からの使用なのでそれなりに実用的。日本のアボカド農園の話やアボカドグッズなどの紹介、種から育てるアボカドのコーナー(観察Blogをつけている人がいるらしい!)もあって楽しい。書棚に飾れる料理本である。

福井県丸岡町編『日本一短い手紙-「愛」の往復書簡』

福井県[[丸岡町]]の[[一筆啓上]]シリーズ。今回のお題は「愛」。ブレがでそうなテーマだとおもっていたが、これが意外にさまざまな切り口からのおもしろい投稿を促したようだ。いつもどおり、笑えるものから、読むのもいやになるくらい重いものまである。時間つぶしによいだろう。