暦法の哲学

節気

掲示板で新暦と暦があわないということをいった。そういえば知らぬ間に啓蟄である。啓蟄とは、あったかくなったので虫さんも出てくる季節ということ。驚蟄ともいう。今日は暖かい。

暖かくなったから、というわけではないのだが、明後日より北海道に出かける。あちらはまだまだ寒い。南の方ではだいぶ暖かくなって昼間に氷が融けて、夜になるとまた凍りアイスバーンを形作るころではあるが、総体として寒いのには変わりないだろう。

イスラーム暦

さて話を戻す。暦と季節といえば、イスラーム暦などは、はじめから暦と季節があうということを全く想定していない。暦と季節が一致するということは、暦が時の算法だけでなく、農事暦的にある程度現実にすり合わせた実用性を備えているということである。一般に暦は天体の運行に基づくものである。特に満ち欠けがあるという点で非常に視認が容易な月の運行を基礎にしていると、短期間でずれが生じる。それを訂正するのが、閏月である。つまり季節と暦を連動させようとする太陰暦には閏月が必須なのである。

しかしイスラーム暦はクルアーンの指定に従い、閏月を導入しなかった(閏年はある)。結果毎年毎年太陽暦、そして季節とは少しずつのずれを生じることになる(正確には一年で11.25日ずつずれる)。当然たとえば巡礼月であるズー・アル・ヒッジャも毎年すこしずつずれてゆき、春かもしれないし夏かもしれない。ズー・アル・ヒッジャが真夏に当たる数年間は巡礼が減るという現象があるとも聞く。ここに神の意思としての天体運行の理を枉げないという哲学を想定することができるかもしれない。そしてそれが暦である以上、人間が手をいれる行為である「閏」をさけているのかもしれない。これがイスラームの特殊性であるかどうかは議論が必要である。が、不思議なことに変わりはない。

注意すべきは、これをもってイスラームの原理性のみを強調することである。考えてみれば農事暦は必要なものである。であるにもかかわらず高度に抽象的な暦法を導入できるということは、一方ですでに実用性を備えた暦法が一般にあるということを示す。そのように考えれば、イスラーム暦はコプト太陽暦や、シリア暦、ユリウス暦など雑多に存在する暦法の摺り合わせという困難を乗り越えるため、一意の時間同定を得るための手段であったとも考えられるのである(しかし租税は当然一定季節ごとに徴収せねばならぬので、ヒジュラ暦による財務暦年は混乱を生じる。オスマン朝ではユリウス暦改変のルーミー=オスマン財務暦が用いられた)。

なお、付記する点が二点ほどある。

一つはイランの暦は一般に言われるイスラーム暦ではない。一般のイスラーム暦は太陰暦であるが、イランはイスラーム太陽暦(ヒジュラ太陽暦)という暦法を採用している。これはイスラーム革命以前にシャーがイラン太陽暦(ペルシア帝国暦)を用いていたため、革命後、暦法改変の混乱を避けたためともいわれる。イスラーム太陽暦は、かの「ルバーイヤート」のオマル・ハイヤームの手になるジャラーリー暦に起源をもち、暦法としてはわれわれの用いるグレゴリウス暦よりもの精緻である。

そしてもうひとつは小杉泰氏が指摘されるように、暦にも共同体重視というイスラームの特色が現れている点である。イスラーム暦はヒジュラ暦(聖遷暦)ともいうように、ムハンマドがマッカ(メッカ)からヤスリブ(マディーナ=メディナ)に移り、イスラーム共同体を開いた年を元年とする。ムハンマドの生誕年でないのは預言者はあくまで人であるという立場を示し、最初の啓示が下った年でもないのは、イスラームが個人の宗教であるだけでは不完全で、イスラーム共同体の宗教であってはじめてイスラームであるということを示すのである。

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