わびしさを求めて大原を訪ねる

27日は昼中寝て「映像の世紀」を見てネットにつないでまた寝るというダメ生活を実践して終了(爆)。

これではいかぬ、とおもいなんとか昼に起き出して、これまで行ったことのない京都の北のはずれ大原を訪ねた。

友人宅から烏丸通りを北に歩き、20分ほどで北大路のバスターミナルがある。京都が京都らしい、と思う場所というのは案外少ないもので七条のビジネス街のあたりで「都市」を感じ、四条や東山の周辺で「古都」を感じる程度。北大路のあたりは典型的な地方都市の感である。バスターミナルなるもの自体が地方都市の産物である。チャリンコが多いのもそれを助長しているのだろうか。友人によると京都は平べったいため、「日本の中国」といわれる松本と並ぶほどのチャリンコシティーだそうだ。こんな感慨を抱くのも実はほとんど観光客をみない時期であったためかもしれない。年末はかなりの穴場だ。人が少ない。非常に好ましい環境である。

大原へは北大路からバスで40分ほど。鴨川縁まで行き、そこから叡山電車にそって若狭街道を北へ向かう。西から来る鴨川は出町柳で北東からの高野川とちょうどY字型に合流する。若狭街道はその高野川にそって北へ伸びている。八瀬遊園を過ぎると、あっという間に渓谷といった風情になる。道は急勾配、左右に曲がりくねる。ところどころにある集落もあんまりいまっぽい感じではなく、熟柿が似合う。

渓谷だなぁ、なんて思っている頃、午後2時過ぎ。冬の陽は弱々しくて、もう街道筋はすこーしぼやけた暗さになる。これからどれくらい走るのか、などと考えるのだけれど、突発的に盆地が開けてくる。山が急に両側に退いた感じだ。で、畑が広がって、コンビニを見るとそこが大原である。

大原のバス停は停留所より大きく、ターミナルというには小さい。小さめの駅といった感じであろうか。各地で廃線にされた鉄道の駅がバスターミナルに化けているがそういった感じである。紅葉の散った小径を三千院へ向かう。軒の古びた感じと色がいわゆる「日本的なもの」を思わせる。暮れ方のすこし暗くなった柔らかい日差しが影を作り、「小さな旅」的コントラストを作り出している。寂寞とした印象だ。坂を上り詰めると三千院がある。相変わらず観光客もまばらで土産物屋もしまっている。踏みしめる土が思いのほか柔らかい。

三千院を出て、さらに東へ「音無しの滝」への山道を辿る。細々とした道で、途中で沢を渡ったりもする。谷間にわずかに注ぐ光が徐々に薄れてゆく。枯葉を踏みしめ踏みしめ上ってゆくと、かすかに滝音がする。そこですーっと流れる小さな滝を見つけると、それが「音無しの滝」である。滝前で唱名をしていたらいつしか唱名と滝の音が渾然としてしまったという故事にその名は由来している。

折り返して下るときは、西に向いて眼前に大原の盆地を眺めながら、ということになる。やさしい夕暮れの景がひろがっている。色合いに心が落ち着いた。

一度、四条に戻る。珈琲を飲む。一日乗車券を買ってしまったのでフル活用をしようとおもい、あえて夜の嵐山に向かうことにした。

四条から四十分ほどで広沢池のほとりの山越に出る。真暗な広沢池から大覚寺へと向かう。池の面には薄く靄がかかっていた。

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