すべては北海道のために

チェックアウトの直前に目が覚める。さくさくと服を着込む。カーテンを開けると薄日がさしている。だんだん晴れてくるようだ。

さて。これからどうしようか。どうせ来たのだからすこしゆっくりしようと思ったけれど、最終選考の結果も気になるし荷物も重い。とりあえず外に出て喫茶店でゆっくりと「北海道はよみがえるか?」と道新を読む。ふむ、、、北海道をよみがえらせるというより新しい北海道を創らなくてはいけないのだ。すべ てはfrontier spilitから生まれる。

午後になると、雲がどんどんなくなっていって北海道の「快晴」。同じ温度でも昨日のような冷たい風ではなく、太陽の暖かさの中に吹き渡るさわやかな風となっていた。北大まで歩いていって、クラーク会館前の芝生でさも当然のように昼寝をする。桜が散ってくる。なんという気持ちよさだろう。

1時間ほどひっくりかえっていて、それから生協に行く。本の品揃えが義塾とはかなり違っている。やっぱり東大系が多いな(笑)。オリジナルグッズを一瞬買いそうになったが荷物が重すぎてお話にならないので、避ける。電話は、ない。

内定をもらったら、北斗星に乗るとか釧路に行くとかいろんなオプションを取りそろえていたのだが、なんとなく思いを断ち切る意味で札幌駅まで行って、快速エアポートに乗り込む。

車窓は、やはり美しい。なだらかに続く丘陵。まだまだ昔の森が残っている。植林の杉ばかりの関東とは大違いだ。どこまでもつづくさらさらとした森の景色に陽が注ぐ。心がゆるみ、再び眠りに入った。

1530時発のJASで再び東京へと戻る。東京の天候は、雨。帰りたくないけれど、帰らなくては……。シートに身を沈めて、再びこの大地に立つときのことを思う。着陸前に大きな迂回があった。R/W 32Lへの着陸。羽田の空はけぶっていた。

暑い!なんという信じがたい暑さか。スーツを着ていることがやはりこの時期の東京では不可であることがよくわかる。三田に寄る。後輩に白い恋人を与え(<喜んで食べてた(笑))る。とかやってたらメールで内定の連絡。タイミングが悪いぞ(笑)。札幌にいるうちに欲しかった。しかし……内定もらってほんとに行くのか?<DoCoMo北。でも札幌は捨てがたい。

部室まで友人がお祝いに来てくれた。サブウェイで祝い<なぜかわたしがおごるはめに、うちに帰る。酔っぱらって寝た。

北の大地

きっちりと7時半に起きる。ひさしぶりに健康にシャワーを浴び、意気揚々と羽田に向かう。いよいよの北海道。とりあえず行くことに意義がある(笑)。0950発のJAS。雲が徐々に出てくるが、途中鳥海をのぞむ。美しい羊蹄山のシルエットを認めるとすぐにシートベルト着用のサイン。眼下の北海道の森はやはり本州とは違う。雲立ちこめる曇天の下でも清冽さがある。

久しぶりの千歳空港。空気は冷たかった。

千歳から即刻札幌に向かう。車窓からは散りつつある桜をみることができた。白樺が普通に林にまざっているのがうれしい。

札幌の街に吹く風はとても冷たかった。東京と同じスタイルで着たのだが、スーツもジャンパーも前を閉めなければとても寒い。いきが白い。そんな場所だった。

面接まで時間があるのでふらふらと歩く。ドトールとかファーストフードがとても少ない、ということをいまさらのように再確認した。1440時から面接。それなりにおしゃべりをして満足した。夕刻、北海道の先輩と一緒にしゃべってお酒を飲む。いまでもなんとなくすぐに会える気がしてしまうのだが、北海道と東京、そして社会人と学生という立場の遠さが意識に上る。

遅くなったので札幌で一泊することにした。酒を飲む。もちろんサッポロクラシックである。どこに就職してどのように働こうと、それをどう考えるかということと別に、私はこの北海道に何ができるのだろうか、と思った。

きりもみ1

昼から福岡に向かう。朝日の面接で改憲論をぶちかます。滞在2時間で東京に戻る。夜。来るはずのNTTデータ、JR東日本、朝日新聞の電話が来ない。完全な敗北。潰走が始まる。

遠い眺望は青空の中へ

日光の朝は寒い。たとえいろは坂の下であってもやはり寒い。

昼までに発表をすべて済ませ、午後はレンタカーを借りて、いろは坂の上に出る。いろは坂を上るうちに、道端の雪がどんどん増えてくる。中禅寺湖が見えると男体山から続く連峰の眺望が澄み切った空に美しく広がっていた。さらに上る。龍頭をすぎて戦場ヶ原が広がると一面の雪で、クマザサも見えない。この高原の湿地は一面の雪景色となっており、その向こうに山並みが広がり、青空へと続いている。このような晴天と巡り合わせてくれた時間に感謝せざるを得ない。

露天風呂に使ったり酒をのんでしゃべったりし、ANAのESを書き上げレンタカーをちょいと持ち出して日光郵便局で消印を押す。

帰ってだらだらしゃべり、呑み、寝た。妙に気が休まる一日であった。

慌しさの極み

起きたら、どうせ遅刻することがわかったので、連絡が取れた後ゆっくりとレジュメを切る。既存のネットワークと電子ネットワーク双方の共産党統治との親和性について、ということで研究計画を書いた。あとは文献のピックアップが必要だ。なんだかんだとやっている内に15時を過ぎていたので、三田へ向かう。プリンタがないのは不便なものである。レイアウトをしていたのでちょっとばかり話を交わし、18時出発。東京、宇都宮、日光と一桁分台の乗り継ぎをこなし、20時過ぎには宿の外にいた。雪が降り出し、寒い。どこだ? 宿は。

まだ残っていた発表を聞いて、酒を飲んで寝る。

夜は波音に吸い込まれた

昨日にひきつづき夜中呑んでいた。

まず2, 3回海岸を散歩する。空はいまや晴れ上がり、北斗七星が明瞭に認められる。海岸は案外に明るいものである。海は暗いが、海に反射した月の明かりが空を照らすからである。

しかしながらまた、海岸は空が広い。天球の天球たるゆえん――すなわち夜空の丸さを実感できるのだ。星々に吸われるように皆がだまりこくる瞬間はなかなかに訪れない。

部屋に戻って、塾生新聞の今後について語り合う。新聞のマインドと情報のマインドがいまやネットワークの活用次第でせめぎ合う構図ができる。そしてネットワークは物的限界が極小化され、すべての範囲を包み込める。ここにこそ塾生新聞が慶應の枠をこえて「慶應ブランド」として生き残る道も含まれているようにさえ思える。もっともそのためには塾内の情報を産業化できるほどの技術と活力が養われる必要がある。そして長期的な塾生新聞の存在意義を考える、というそのことが後輩にも流れていっていることを実感して満足感を得た。

ブランデーを瓶半分ほどあける。飲み過ぎのためだろうか、午前中はもうろうとしてしまった。午後。後輩の車に便乗して家まで送ってもらう。感謝。その後、クラナッハへ。24時間前にも同じ場所にいたことを考えると、合宿はぴったり24時間の旅であったらしい。

疲れ果てて早めの就寝。

春風は懐かしさを連れて

今日は塾生新聞の合宿2日目。私は今日から参加することにしている。午前中にファミリーマートのセミナーがあるためである。

どうもJR北のリクルータールートからは落ちたらしい。もったいないことをするものである<自信過剰。

雲は妙な高さを保っている。どんよりした空から時に日が差す。橙を薄めたような色で妙な神々しさがある。これを「天国の階段」とよぶ。

「クラナッハ」で珈琲を飲み、北洋銀、日経、KDDIのESを書き上げる。かなり攻めた文章を書いてしまった(笑)。曰く「敵はNTT、AT&Tである」と。写真を撮って貼付し提出。

ようやく合宿へ向かう目途がつく。時に1600時。合宿は九十九里白子温泉。千石から三田線で日比谷に出て、京葉線東京へと乗り継ぐ。京葉線東京駅はむしろ日比谷に近い。約5分。

1700時発房総特急「わかしお13号」に乗車。ここ3年間春合宿は房総であるが、いつも183系にあたる。いまや東京口で国鉄特急色がのこるのはここだけだ。それが新しい京葉地下ホームであるのはひとつのおもしろさである。モケットもアコモ改善されているとは言い条、リクライニングは浅くがたが来ている。東京発車後の地下での走行音もけたたましい。

潮見手前で地上に出ると行き先は暗く、この湾岸の空だけが晴れ上がっていた。京葉沿線の車窓をなにするともなく眺める。ここもまた灰色の町だ。陽の光が秋の終わりのような色を町に投げかけている。

検見川浜をすぎるころ、曇天に突入。時間とともに暗くなる中、雨も降り出してくる。先は黒い雲に覆われていた。暗うつな気持ちとともに寝入ってしまう。大網を出て、海岸に沿うように右カーブするころに目が覚める。このあたりで雨雲は切れているらしく、前途の茂原方面は少々の明るさがあった。

1900時宿に到着。いつもの面々と顔を合わせるが、編集作業に携わらないいま、「いつものように」顔を合わせることはなくなってくるのだろうか。少々の寂しさを伴う。ひさしぶりに「仲間たち」を見ることができた。そのことじたい、うれしかった。

小旅行

8時に起きて猫と戯れた。その後「クラナッハ」で珈琲を飲む。常連さんの一人に音楽ファンの方がいる。彼によるとスピーカーでCDを聞くとどうしても途中でたってしまうからヘッドホンで聴いた方が集中できると教示を受ける。まさしくその通りで、さっそくヘッドホンをつけてうろうろすることにした。それから図書館で返却の遅れていた本20冊ほどを一挙に返却。さらに心が晴れる。

昼ご飯を食べた後、友人がカナダから戻ってくるので迎えに行く。成田まで約2000円1時間半。結構な小旅行である。沿線の杉がまっちゃっちゃになっていたのが印象的だ。成田の第一ターミナルの到着ロビーは狭い。到着便のディレイがあったので、出発ロビーに出向き航空券のリイッシューをしてくる。トロントくんだりはまだ寒いらしく重装備のがもそもそと動いている。

しかし成田に行くと何でこんなにいろいろ荷物をもって、民族大移動?という人たちがいっぱいいる。これから旅行だったり帰ってきたり彼らは非常に非日常的な場所にあるのだろうが、こちとら日常である。案外にだらっと成田というのもおもしろかった。もっとも航空券とパスポートはもっていたので、速攻旅行に行く手もある。

そのまま日暮里でバイト。かえってドラマを見て、ねる。

京都へ!――

ようやく京都に行く暇が出来たので、突発的に出発する。朝まで昨日のパーティのワインを飲みまくり、もののついでのように荷造りをして、浜松町へ向かう。朝7時。

さくさくと乗り換えをこなし、当然の顔をしてチェックイン。まだ帰省にははやいようで、余裕。+¥1,000のレインボーシート。JAS贔屓はこのためといってよい。旅は身軽さとフットワークの軽さが大切だ。それから微妙な快適さにお金を惜しまないことも。

機内でやや声がかれていたことに気づいたので、風邪薬をお願いする。大阪までのフライトはあっさりとおわって午前10時半には伊丹にいた。空から京都に入るのは案外めんどうくさい。普通ならバスでいくのだけれど、ちょっと探検の気分で、モノレールに乗ってみる。これまた色々ルートがあるのだけれど、南茨木で阪急に乗り換えるルートをとった。その後、高槻市で急行に乗り換え。さらに四条烏丸で地下鉄に乗り換えたので、都合3回の乗り換え。これはバスのほうが便利。微妙な安さは気にしない方がいいみたいだ。昼前には友人宅のある烏丸今出川に到着。

したのだが、どこに行くかあまり考えていなかったためもあり、かなりだらけ、気がついたときには寝ていた。起きたのが、夜の九時でほとんど因果。

「映像の世紀」をあれこれいいながら見て、ネットにつないで……という東京のスケジュールをそのままこなしたような夜を過ごしてしまう。気づいてみれば、空も白んできていて、やっと眠くなる。なんともやりきれないとおもいつつ、また寝た。

合宿終了……課題が山のように

イスラーム史のゼミ合宿が終わった。場所は三浦半島の油壺。東京から京急で1時間あまり。実は結構近い。が、やはり田舎の雰囲気というのは漂うもので、三崎口駅はともかく油壺までバスに乗って入っていくとそれがどんどん濃くなってゆくわけである。椰子などもあったりして南国風を漂わせようとしているらしいが、どうも失敗しているような感じ。

5日の午後に現地にゆき、その夜および6日午前が発表。さまざまな発表があったが、自分は「イラン・イスラーム革命は何だったのか? とりあえずは日本のジャーナリズムにとって」という論題。レジュメがない失策をしてしまった。5日の夜に出た鰺のたたきが美味。久しぶりに食べたわけで海鮮系の店を発見するという課題が出来た。午後9時から発表の予定であったが、先生がNHKスペシャルの大峰遠駆の番組を見たがったので、みんなでそれを見る。ゼミの大先輩が山岳系のテレビ・カメラのクルーで、松山局から引っぱり出されて、これを撮ったのだそうだ。遠駆は吉野から熊野までをさまざまな課題をこなしながらひたすら歩く-走るイベントで、役小角からの山岳宗教-修験道の伝統を引く。その厳しさはやはり想像以上。みんなでいろいろな感想を言い合い、たいへん楽しめた。しかしカメラマンのことを考えるとおそるべし。

6日は午前中に発表を行い、午後に油壺マリンパークに行った。朝には先生は「泳ぐぞ!」といって、すでに水着を着ていた(笑)。一番喜んでいたのは明らかに先生であった。水族館なんてものもひさしぶりにいってなかなかおもしろい。なんか色々いるので。でも、むかしの「レジャー」を引きずっている感じで、アシカショーとかは、やる方も見る方もお互いに気を使って拍手したりしているので気疲れさえしてしまって、大変だった。とにかく空いていたわけで、京急ももう少し何とかならないのかとも思う。

それからひたすら飲んでいた。うーん……。で、今日帰京。コーヒーが恋しかった。

ワールドPCエキスポが始まった。招待券はもらっていたのだが、行かず。日経の特集増補分を読んで満足した。やはり家庭にどれだけ普及するか、の問題なのだろうか。私たち学生はお互いメールで情報をやりとりしたりするわけで、企業などもそうであろう。しかし意外とまだまだ一般家庭への普及はしていないように思う。メールは相手がメールを見ることが出来なかれば、なんの意味もない。

この分野、新しいニュースが楽しい。そういえば朝日の「中国」連載が始まった。日本が唯一外電報道でも世界に太刀打ちできるとされる中国だけに、今後の展開が楽しみだ。

羽田の夕暮れ

羽田に着いたのは17時30分くらいである。旅に出ていた間のことは「紀行」で紹介したい。

私はなぜこうも空港が好きなのだろうか。待合いで、あるいはラウンジで好みの本をゆったりと読む時間は至福なのである。旅に急ぐ人々の雰囲気の中で、慣れた旅行者を演ずる自分に酔うのだろうか。それとも旅行者があつまった場所の雰囲気自体が自分を落ち着かせるのか。

ハッキリした話、自宅にいるよりも落ち着くのである。根無し草かな、とも思う。

意味もなく旅立ちの日は、すぐに巡ってきそうな予感がする。

家に向かう京急と地下鉄の中で、私の頭はすでにどこかに行くことしかかんがえてはいない。「先立つもの」はないし、自分が移動するということにそこまでのコストをかける意味もない。しかしあの待合いの雰囲気を楽しみに出て行くであろう自分がすでに夢想されているのである。

地下鉄が最寄りの駅に着き、私は家路を急ぐ、フリをする。

高知で見た紅梅が、東京でも咲いていた。寒いところに行くべきだったのであろうか?

【事務】更新が大変遅れていますが、3月15日までに、2月24日-27日までの【韓国紀行2】、3月2日-5日の【各駅停車の旅3~大和~安芸~四国】の各紀行をお届けできる予定です。

(2006年4月20日追記.もう10年前のことでさっぱり覚えていないので無理でしょう) 

漢江のむこう

4. 漢江のむこうへ

朝は6時近くに起きた。晴れ。

韓国に渡るというのに、さしたる感慨も起きない。結局ゲートタワーホテルに滞在していたのは8時間あまり。そのうち7時間近くは寝ていたと思うと、もったいない気もするが。そのあたり俗っぽい考えであろうか。荷物は特にまとめる必要もない量。とっとと関空へのリムジンに乗る。冬の朝。若干のすがすがしさも感じるが、やはり眠い。早起きはこの旅行のキーワードとなってしまっているようだ。

まだ明け切らぬ中、空港への橋を渡る。無国籍な情景であろうか。ハイウェーとエアポート。

関空のターミナルの造りはなんとなく成田の第2ビルと羽田を複合した感じである。国内線と国際線の乗り換えの便は図られているよう。ハブ空港への野望か。

国際線出発ロビーで朝食。サンドウィッチ。味気ないものである。若干空調が利きすぎで暑い。適当に時間を潰したあと、出国審査、手荷物チェックを淡々とこなす。友人が引っかかった。ベルトの金具のせいである。以降韓国出国、関空出発でも同じことが繰り返された。ANAの関空-金浦便は、767であった。どうにも外国に行く気がしない。東京から岡山にでも行くかのようである。

機内での時間は、2時間程度であったか。食事もさせてくれたが、随分せっぱ詰まったフライトに感じた。対馬海峡をこえ、やがて韓半島の上空にさしかかると、アッという間に高度を下げはじめる。眼下は山がち、というより丘陵地の連続にように見える。山は茶色く、岩がちである。ときおり雪もかぶっており、一カ所ではあるが、スキー場も確認することが出来た。韓国でもスキーは盛んであるとも聞く。

ただ全体的な印象としては、日本の中国地方上空を飛んでいるのとはさして変わらない、ということである。麦畑が連綿と続くわけでもなく、厳しい山地とそれを縫うような深い谷があるわけでもなく、深い森林というわけでもない。ときおり確認できる建物もやはり日本とさしては変わらないのである。すくなくとも上空からの一瞥は、文化的に複合する点も多い、ということを確認させてくれた。

やがて巨大なマンション団地群がおおくなると、ベルトサインが点灯。韓国は集住型のようで、とにかく団地が目立つ。高層マンションの巣、というのが着陸直前の風景であった。漢江も確認する。

金浦空港に到着。札幌-沖縄より短いフライト。隣国は非常に近い。わたし自身は正確に把握していたつもりであるが、やはり内心の意識として、日本という地域が、絶海の孤島、の様な印象を抱いていたのは否めないようである。国境感覚の異様な強さは、日本人には大変わかりやすい。海の外、と思えばよいのである。逆に、バリアフリーな国境というものを考えにくい民族であるのかも知れない。しかしそんな環境にないような、陸続きの国々の人々はナショナルアイデンティティーにこだわるのだろうか。理解しがたい点である。

金浦はドメスティックも兼ねた空港である。大韓とアシアナがやはり多い。私たちは、外国機専用らしいターミナルにはいる。となりではユナイデットのジャンボが翼を休めていた。

というわけで途中までです。

ソウルへの道

そこはかとなく、韓国へ行って来た。何となく見聞きして考えたこともあるので、ちょっと紀行文でも掲載してみようかと思う。発ったのは2月の16日で、2日間ほどである。

さして長くもない旅であるが、去年春以来の久々の海外であったし、初めての非英語圏への旅であった。

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