それは常に続いていくと想像されていた日々。穏やかにそしてささやかな幸せが周囲を流れていた日々。だが、そんな永遠のまどろみを支配していた秩序は、堅牢な石造りの光塔ではなく、現実に左右される砂上の楼閣に過ぎなかった。
中世的永遠は、そこに暮らしていた人々にとっては真実だった。歴史学的には、「まどろみ」のように見えていた日々もまた非常にダイナミックで動態的な世界であったことは、近年よく指摘されることである。しかしどこまでも続いてゆく日常の感覚は、人々にとって真実であったのではないだろうか。
やがて永遠を夢想していることすら許されない日々が訪れる。そこに住む人々の目前においても、昨日までの日々を永遠と思うことが許されないほど、世界が躍動感に満ち溢れた時が来る。そのような時、人々は無力さを痛感したかもしれない。否、確実に痛感しただろう。しかし無力さの自覚は、強い自己を作る。そして、そう。また、あの春が来る。