世は夏至

異様に早起きで7時頃目が覚める。とりあえず大掃除をして10時近くになるを見計らってクラナッハへと向かった。日経なぞ読みながら、またまた英語の勉強。12時ちょいすぎに学校へ向かい、3年生の研究会のクラスにも出席した。ノリとしては4年生と変わらないが、トピック、ヨーロッパで共産主義を人々が支持したのは、合理的選択の結果だったのか、あるいは幻想の産物だったのか、というのが議論として面白い深みを見せる。イギリス、フランスの有名な党員研究者フュレとホブズボームの議論の比較が面白い。

ゼミでは例のナショナリズム論文を読むが、なにしろ論点がハッキリしないと言うことでナショナリズムとはなにか、中国のナショナリズムとは?そしてそこで展開される国民国家のパトリオリズムの意識には内なる中華と外なる中華の二重性があるのではないか、という議論に進み、終了。

あとはどういうわけか飲んでいた。その中でじつは私が映画だのドラマだのを見てすぐ泣いてしまう感動屋であることが判明してしまった。終電近くになる。結局終電で帰宅を試みたが、起きたら外にネオンが光っていた。地下鉄にはあるまじき現象であるのだが、高島平まで来てしまっていたのだ。3000円をかけて帰宅。帰宅してみたら、もう眠くなかった。ちょろっと英語の勉強。

来週の課題分の

  • 村田雄二郎「20世紀システムとしての中国ナショナリズム」西村成雄編『現代中国の構造変動3 ナショナリズム-歴史からの接近』東京大学出版会,2000

を読む。感動した。ゼミであれほどぐちゃぐちゃと論点をこねくりまわした「ナショナリズム」がこれほどすっきり論述されるとは驚く。しかも社会史レヴェルで「物語」に近いところから説き起こして、第一節では中国社会の前近代の秩序意識を費孝通の議論を通して説明するという入りやすさ。あまりのスムーズさに、頭に染みいるようにして記述が流れ込んできた。そのあとだらだらと続くのかと思ったら、「国民」「国民国家」という概念そのものと中国での表象について、きわめて綿密な議論がされ、そのあとようやく「中華民族論」に踏み込み、「内的国境」「外的国境」という非常に簡明な概念が導入され、終節では国家-党関係まで記述されていた。これにとどまらず『尚書』にはじまり顧炎武、アンダーソン、ホブズボームまで縦横無尽に文献/史料が駆使され、かつこれほどロジックが簡明でありながら創意に富み、文学的センスがある論文は久しぶりに読んだ。読後感ではこれが本当に34ページという紙幅に収まっていたのか、ということ、なとなく「負けた」という気がしたことである。

あまりに感動して先生にメールを送ってしまった。これを読み終えて6時くらいだったのだがようやく眠くなってきた。気合いで寝ようと思っているときや、眠れるに違いないとおもっているときこそ、眠れないものである。

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