「映像の世紀」再放送を歓迎する

NHK総合で95年作成の「映像の世紀」がアンコール・再放送されている。タイトルの字の使い方のうまさ、加古隆の音楽の溶けこみ具合、非常に良くできた作品であることはいうまでもない。今年から「世紀を越えて」が放送されているが、まったく5年前という古さを感じさせない。

私たちはこれまでだいたいの歴史を「字」によって認識してきた。それが映像というものを通じて再認識できるのだ。映像の魅力はその映像のピント以外の場所まできちんとそのまま描き出してしまう、ということである。第一次世界大戦・塹壕戦の実像がはっきりと浮かび上がってくる。その映像のはしには後に有名になる人物――たとえばマッカーサーやヒトラーが意図なく映し出されているのだ。非常に有意な社会史史料ともいえる。

第二回を見た。エンディング。ウィンストン・チャーチル卿の言葉は私の胸を突いた。この番組は、まさしく映像による現代史全集といっていいだろう。願わくば最後の5年分を編集して欲しいものだ。

夜生きて、昼寝ている。だいたい起きるのが十六時頃。一体に社会はまだまだ太陽に縛られている。当然のことではあるが、しかし、終電なるものによって束縛される都市にこそその制約が大きいことを思い知った。もっとも案外に終電から初電までの時間というのは四時間足らず。その意味では夜はあまりにも短いとも言える。

「富士見二丁目交響楽団シリーズ」の新刊が出たので、早速購入。すでにJune小説の狭い枠は突破できたであろう。いつも言及しているとおりこの物語は「成長」の物語だ。音楽と個人の関係、個人と個人の恋の関係、育ってゆくオーケストラという人間のネットワーク、人と人を媒介するメディアとネットワーク。この物語の世界はさらにリアリティを高め、いよいよ次の第四部からヨーロッパの音楽シーンへと舞台を移す。ますます展開が楽しみな一書である。

ところで「炎の蜃気楼」シリーズの新刊も24日に出るそうだ。あまりのタイムリーさに笑いをこらえることはできない。さすが集英社である(笑)。ここのところアルスラーンやグインの新刊も出ており大長編大好き人間の私にとってなによりのプレゼントが続いている。

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