歴史学研究会編『世界史とは何か――多元的世界の接触の転機』(講座世界史1)

若干左寄りとはいえ(「近代」と「一国(一世界)中心主義」からの脱却を目指す)、岩波の新しい講座版が出るまでは、これがあったのみである。

さて。本講座は、いわゆる「大航海時代」から説き起こす。新鋭の研究者たち(イスラーム世界も充実!)の受け持つ大きな視点からの各論と、さらに相当に特殊なレヴェルの特論から成る。

本巻は、第1巻であり、まず第1部「多元的世界の接触」で、欧州大航海時代以前の接触と世界を描き出す。清水宏祐「十字軍とモンゴル~イスラーム世界における世界史像の変化」は「イスラーム世界史」という書物のジャンルの変遷を追うことで、イスラーム世界の交流と一体性がどのように変化したかを明らかにする。9c-10cにかけてバクダードを中心に盛んだった天地創造から説き起こして現代までをカバーする「世界史ジャンル」-たとえばタバリー『諸預言者と諸王の歴史』-は11cに入ると停滞し、むしろイブン・アサーキル「ダマスクス史」など地方史が盛んになる。清水はこれをファダーイル(地方の美徳・美点)とからめて、地方王朝の成立、「地方意識」の芽生えからと説明し、さらにそれぞれ都市の名を冠した都市~都市圏~地方からなる都市中心の地方意識を明らかにする。13cには大モンゴル帝国の成立と地方史によって養われた歴史書の技術による世界史の復活、王朝史の充実が見られることを指摘し、最後に十字軍のイスラーム世界への文化的寄与はほとんどなかったと結論づける。

続く新谷英治「オスマン朝とヨーロッパ」はヨーロッパとオスマン朝の交流と相互の影響について双方向的に概観する。オスマン朝はその政治的な勢力によってハプスブルグ大陸帝国の成立を阻止し、フランスと同盟関係に入ることによって、欧州の勢力均衡・宗教改革を形成し、近代欧州の成立に与えた影響は大きいとする。一方欧州がオスマン朝に与えた影響では、美術・建築を中心とした地中海文化圏の存在を認め、その交流の姿を描く。

目を転じて東アジアを描く荒野泰典「東アジアの華夷秩序と通商関係」は、西方の「世界」に対して東アジア世界を提示して、華夷秩序とそれに則った通商関係を示し、特徴づけ、続く辛島昇「仏教・ヒンドゥー教・イスラーム教」でインド亜大陸でのかく宗派の混ざり合いを描き、世界の併存状態を考察する。

さらに大航海時代以前の地球各地の世界を示唆する各論から特論に入る。宮治昭「トゥルファン」はトゥルファン周辺の各石窟から文化の混ざり合いの変化を読み取り、西の方イベリア半島でイスラーム時代からレコンキスタ後にかけて花開く都市トレードを描く林邦夫「トレード」、地中海の中央にあって東西の十字路となり、まさにムスリムとクリスチャンが「共生」した両シチリア王国を描き、後の『神秘の中世王国』の要約ともいえる高山博「シチリア王国」が、示される。

第2部「大航海時代」はまさしくその大航海時代の端緒である清水透「コロンブスと近代」から説き起こされる。コロンブスの作り上げた世界はまさしく大西洋から太平洋へと道がつながる過程でもあった。スペインはメキシコを経由して、さらに地球の裏フィリピンまで支配した。そこはノエバ・エスパーニャ(メキシコ)副王府に従属しながらも一方で、独自の経済を確立し、アジアとの銀のパイプを持ち16cの華やかなるアジアの海を現出させていたのである。

他に菅谷成子「フィリピンとメキシコ」。加藤榮一「銀と日本の鎖国」、長島弘「海上の道~15c-17cのインド洋、南シナ海を中心に」、堀直「草原の道」、宮地正人「台湾」、田中一生「ドゥブローヴニク」

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