どんぱちで得をすること

第1回につづいてのメモである。どうも今週中にアフガニスタン攻撃があるという噂が飛び交っているが、その利益はいったいどこにあるのか?という議論をする。もちろん心理面や、理念面でのメリットはあるのであろうがリアリスティックに考えた場合どうか、ということである。

前回触れたように、アフガニスタンにはほとんど資源はない。占領したとしてもほとんどいいことはないにひとしい。唯一トルクメニスタンからのパイプ ラインの話があるが、それとてもかえってイランを通すほうが場合によってはより経済的でありかつ政治的厚生も確保できるかもしれない。攻撃がおこなわれて も、軍需景気をまきおこすほどのインパクトもなく、到底米国GDPの10% にも及ぶまいと思われる。そうなると得をするのは武器屋とテキサスの油屋だけだろう。しかもその武器屋にしても米国の使用する高機能の武器を生産し、経済 に貢献する武器屋ではない。旧ソ連のカラシニコフなどをさまざまな武装集団に供給するブローカーである。一般にウンマ(イスラーム共同体)に対する攻撃が あるとムスリムは被害者感情を覚える。政府は冷静な対応をするであろうが、それを抑えられない感情的な者が増える。そうすると小型武器が売れるのである。

9月24日付の朝日新聞の天声人語が渡辺一夫の「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」がひかれている。ここに述べるように、寛容さを脅かすものに対する憎悪は、不寛容である。つまり自らも寛容を脅かす者になるのである。不寛容に対する不寛容は不寛容を増幅する。ホワイトハウスはもとよりこのようなことは自覚しているであろうが、合衆国国民の多くがそれを認知せぬまま合衆国は感情的な戦争に突入しようとしている。そして、その感情こそが、民主主義の敵たりえるのである。感情的なつっぱしり(イスラーム的に考えればテロはイスラーム的であるとは断言できないし、そもそもジハードにはいろいろとやり方があるはずである)に感情的に反撃する。これは容認できない。 もとよりテロは好ましくない。しかし感情的なテロに感情的に反撃しては、さらなる感情的な憎悪を増幅させるだけである。そして理性的な対策には合理的な根 拠が必要である。合衆国6000人の命の報復にアフガニスタン国民をまきこむことを納得させられる合理的な根拠が。合衆国は証拠を示す必要があるのであ る。そうでなければ、合衆国の攻撃は、単なる言いがかりによるもの、としかいえなくなる。

さて、資源のわりにはアフガニスタンは地政学上の要地である。南西アジアのへそともいえよう。しかしながら、である。要地でありすぎて、ここをいず れかの勢力が支配するのは、他の勢力にとっての不快感からいうととんでもないものがある。であるから、この地域に強い政府ができることはパワーバランスか らいって好ましくないのである。

まず独自に強力な政府が成立して、いずれかの周辺国と友好的に関係になることは、それ以外の関係国にとって不快である。ターレバーンが政府を確立す れば、パキスタンには好ましく(よって中国にも好ましく)、イランとインドにとっては好ましくない。逆もまた真である。イランが今回の事態に対し強い不快 感を示さずほぼ暗黙の了解という態度をとっているのもそのためである(もちろんシーア派ハザーラ人の敵であるターレバーンはイランの仇敵である)。という ことは合衆国は攻撃するだけ攻撃して終わりであって、そののちになんらかの安定的体制をつくる努力をするとも思えない。下手をすると北部同盟が今度は敵と いうことにもなりかねない。かといってアメリカはパキスタンを無視することはできないであろう。なぜならパキスタンは王政イランなきあと、中央条約機構の もっとも重要なメンバーであるからである。

だいたいがラーディンという存在自体を合衆国が育てたわけで、ラーディンに金を出し、北部同盟に金を出し、また……ということになると合衆国の節操 のなさには二の句がつげない。ただのならず者育成機関ではないか。というわけで戦争が起これば、実に非生産的な戦争となるであろう。そしてまたイスラーム というものにたいする偏見と誤解が広がるのである。

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