時はずれのさわやかさ

  • 昨日今日と妙に涼しい。というより7月が異常に暑かったのだろうか。昨年の今頃毎日図書館っていたときはもっと暑かったように記憶している。刺すような日差し、蝉の声、陽炎。それがない。どころかススキの原を吹き渡るような風が銀座を吹きぬけているのである。

  • 確か8月15日もそうだったのではないか。言葉の世界の暑さとは裏腹に、涼しさがあった気がする。晴れ上がった夏の真昼間、蝉の声だけが聞こえる静けさ、あの奇妙な明るさを伴った終戦の日の心象風景は世代を超えて「私たちのもの」になっている気がする。この妙に宗教的な気分。やはりお盆が終戦の日に重なるということ、そしてそれが「戦後」に与えたことの意味は考えておいたのほうがいいのかもしれない。

  • ゼミの後輩が研究対象としているボスニアにゆくという。このまえ日経の「春秋」に宮本常一の旅のスタイルの話が出ていたが、やはり地域研究にとってその場に立つ、ということは重要である。原石が輝きを増して来たようだ。私もがんばらなければ。ともあれ南のマケドニアはいまだに戦火がやんだとはいえないし、隣国セルビアも政権が不安定になりつつある。気をつけて行って来てほしい。

  • 坂上康俊『律令国家の転換と「日本」』を読んでいて思ったのだが、律令国家で戸籍がうまく機能しなかった原因として、あの時期の日本で「戸」などというものじたいが機能していたのかどうかというのがあるが、だいたい家族っぽいものが形成されたのはいつころなのか。日本家族史を省みる必要がありそうである(逆に言えば中国ではきわめて家族が発展していたともいえるわけである)。

  • 台風が来るといって不謹慎ながら楽しみにしていたのだが、どうやら外れそうである。今回のものは規模がやたらと大きいわけだが、かといってそれほど強いともいえそうにないので、関東に来るころには相当弱っているのであろう。しかし、まぁ台風は楽しみなのである。

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