14時間25分の陽のもとで

朝起きると9時過ぎ。すでに日差しは強い。さすがは夏至近くである。今日はなにをなすべきか?ということをつらつらと考える。一つは英語のお勉強。学校の図書館への書物の返却。そして。DoCoMo北へのお断りと、ゼミの先生への報告&相談である。

とりあえずクラナッハへ。とにかく暑いので、それがひたすらネタになる。このまま雨が降らなかったらやばいことになるということだが、明日には梅雨前線は北上してくる。むしろ北上のしすぎで日本海まで行ってしまって、太平洋から湿り気が入ってくるかもしれない。じめっと暑い梅雨が期待できる。……想像しただけでゾクゾクする。

学校に行く。図書館で本を処理して、研究室へ。幸いなことにアポ取りだけ、とおもっていたのに先生がお時間をとってくれて、お話ができた。論点は2つ。研究者としての将来と、大学院入試突破の戦術的問題である。先生は前者の適性を保証してくれた。自信がつく。あとは語学的センスが問題。筆記を突破しないことに将来はない。英語の読み慣れがすべてのためである。英語の本を何冊か貸していただく。

図書館にこもってさっそくちょろちょろとめくる。トピック的にはなかなか面白い。もっとも中国人の名前がアルファベットに化けるといかに同定しずらいか、ということも学んだ。これがすらすら読めるようにならなくては! まして入試では、政治学全般の広い領域から、さまざまな術語が飛び出すに違いない。これまたゾクゾクしてくる。

などなどをしていたら、1900時過ぎ。帰ってひたすら英語を勉強する。ちょっと時々札幌の夢をリフレインさせてしまうことがあるが、「一度決めたらそういうことはなるべく考えない!」という言葉に従おうとがんばる。うらぎってはいけない。むしろ。札幌の夢に賭けられなかった申し訳なさの分までがんばらなくちゃいけない。明日はゼミの日。あわせて

  • 西村成雄「二〇世紀史から見た中国ナショナリズムの二重性」西村成雄編『現代中国の構造変動3 ナショナリズム―歴史からの接近』東京大学出版会,2000

を読む。んー、この論文、ときどきいいたいことはわかるが、そもそもの二重性ってどこに示されているんだろうか? だいたいが中華世界的ナショナリズムと国民国家形成ナショナリズムをあえて分裂させて考量するより、むしろいかに融合させようとしてきたかを論じた方が有効なアプローチになると思うのだが。DoCoMo北の件は先送り。

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