北へ――!2

今日はリクルートでバイト。単純作業+メンテ(<不可抗力で発生)。大学一覧みたいのを見て必要なデータを拾い出して入力するというもの。インタフェイスが面倒くさくて結構堪える。1時間もやると一覧の方を読み出してしまう。ある程度編集しつつの打ち込みというのは性が合わないらしい。やっぱり超単純打ち込みの方が楽かもしれない。

そのあと三田へ。ちょいとした塾生新聞の行事の前、ということで四年生がいっぱい(笑)。後輩が写真がうまくとれたというので見る。昨年はなんだこれは、という代物を濫発していたのだが、見られるものをとるようになった。ふむ。慣れの問題である。どっちにしろうれしそうにしているので可。

今日は半袖。朝夕や冷房の中ではちょっと寒いかも。でも昼間暑がらずにすむのでこれも可。この時期にスーツで東京をうろつきまわるという「常識」が、どこから湧いて出てきたのかが、まったくもって不明だ(ということで文春新書の「スーツの神話」を読む)。というより生理的に耐え難い。そんな常識に縛られたくない。とりあえずいまのところの進路選択では東京でスーツ着て歩く必要はない。なぜなら札幌行くか、東京で院生やるかしかないからだ。

しかし、私に研究能力があるのかというとこれまた疑問符もので、目があまりに広がりすぎて非常に拡散的な論になりがちである。半分ジャーナリスティックな政局解説みたいのをするのは非常に得意なのだが、学としてはよろしくない。かといって史料をこつこつ掘ってパズルをやってだからどうしたの?と思わないこともない。実証研究にはことによると最悪の相性かもしれない。理論を敵視している部分もあるので難しい。

ところで、これまで英語ができないということを制約として考えていたが、逆に英語ができるとして何をやりたい、と考えると論点がすっきりするように思えた。

おそらく私の問題は、人がどんな思いで、人とかかわり、そして生きることに幸せを感じようとしてきたか。そして社会と権力はそれにどのように答えようとしたのか、ということなのだと思う。私はこれを創ることにかけるのか、あるいは見ていくこと知らしめていくことにかけるのか。悩みはつきない。

北への風は吹くのか?

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