栗本薫さんの訃報に接して

あいかわらず放置中の主です.時の時,ついに,という思いです.

「グイン・サーガ」を買って,読むこと.それは私にとってもはや習慣ともいうべきものでした.つづきが気になるとか,あちらこちらに散りばめられた伏線の行方とか,そういったことを越えて,一年に何回か必ず出会うべき作業,著しく積極性に欠けたものですがライフワークともいうべきものでした.

私がグインサーガを読み始めたのは中学生のとき.当時は39巻の『黒い炎』までが刊行されていました.夏休みのある日,帰宅途中に港区立三田図書館に立ち寄って手に取ったのがはじまりです.あの第1巻は,一昨日訪れた際も三田図書館の2階奥のジュニアコーナーの文庫書棚のほとんど同じ場所にありました.相当にくたびれていましたが,まったく同じ本です.月に何度も立ち寄りますが,なんとはなしに目に止まったのは,どうしてか,それはわかりません.

第1巻から,外伝も含めて約50冊ほどを2週間か3週間で読み切りました.それ以降新刊が出るたびに購入し,数年に一度は1巻から読み返していました.スタフォロスのおどろおどろしさ,ノスフェラスの不思議,イドの谷,海の怪異,沿海州の陰謀,そして蜃気楼の甘酸っぱい恋……サイロンの人間模様,そしてカリナエの風雅.さまざまな情景がなお私の中に息づいています.『風のゆくえ』『パロのワルツ』を読んでいた,その時・場所は,空気,光,温度,ハッキリと記憶にのこっていて,いとおしくてたまらない思い出です.

ストーリー自体は50巻前後から急速に質が落ちたなぁという印象はありましたし,60巻代後半からは文章さえも引きずられるようにひどくなっていったと私は思っています.そして栗本さんの入院以降のあとがきを読むにつれ,この物語は終わらない,そして,この物語の続きを読むことの終わりは近い,そんな思いに駆られるようになりました.とはいえ,まだ数年先のことだろうと思っていたのも事実です.そういった意味で,ついに,という思いとともに,あまりに唐突な知らせでもありました.

私はもともと長いお話を好みます.終わらない,続いてゆくお話の中に心を飛ばす.ふつうに考えれば,現実逃避のような嗜癖です.しかし,だんだんと終わらない物語が終わってゆくという現実に突き当たるようになってきました.一昨年9月には『時の車輪』のロバート・ジョーダンが亡くなりました.そしていままた『グイン・サーガ』の栗本薫がこの世を去りました.彼らは私の身の置き場を持ち去っていってしまった,そんな憾みがあります.きっと完結していても似たような思いを抱くのでしょう.夢の続きと夢の終わりの狭間にあって,また新しい夢を探し求めること,それは無駄なあがきかもしれません.そんな思いを抱くところまで来てしまったことは自覚しておいた方がいいのだろう,と思います.でも,まだしばらくはそうしたい,そうさせて欲しい,と痛切に思うのです.

『グイン・サーガ』はあと3冊,つまり今年中の刊行分はすでにストックされているようです.栗本さんの筆になる未完の最終巻を読み切ったとき,そのときにきっとまた同じ事をかんがえるのでしょう.その冬の日に,わずかでも暖かさの残る時が過ごせればとおもってやみません.グイン・サーガにお別れを告げるときがいつになるか,それはわかりません.でも,いま栗本薫さんにはお別れを告げなければなりません.安らかに眠られることをお祈りします.

“栗本薫さんの訃報に接して” への 1 件のフィードバック


  1. とうとう完結せずに逝ってしまわれましたね・・・

    私がNiftyの昆虫フォーラムのスタッフをやっていたときに一緒にスタッフをされていた方が栗本さんの友達だったので、いつかきちんと読んでみたいと思いつつまだ第1巻しか読んでいませんでした。

    >> 私はもともと長いお話を好みます.終わらない,続いてゆくお話の中に心を飛ばす.ふつうに考えれば,現実逃避のような嗜癖です.

    歴史だけは我々の生命が終わったその先も、ずっと続いていくのですよね。「その先」を知ることができないことに、たまらない寂しさを感じます。

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