革命の真実と心性

ここのところディケンズを読んでいて、『二都物語』にちょっとはまり、その影響でフランス大革命にまたまた興味が回帰した。ついつい『ベルサイユのばら』も読んでしまったのだが、そもそもの私のフランス革命観というものが、なにかずいぶん古くさいところで止まってしまっている気がしたので、五十嵐武士,福井憲彦『アメリカとフランスの革命』(世界の歴史),中央公論新社,1998.を読んだ。

結局のところ、フランス革命が大革命となったゆえんは、民衆の動力があったからこそ、ということである。革命は、球戯場の誓い以降、専制啓蒙体制、立憲君主体制、自由主義的共和制と何度でも軟着陸のチャンスがあった。しかしその解決を模索する時間は、常に「パンと価格統制」という民衆の示威の前に奪い去られ、革命は新たな段階に突入し、続行したのである。価格の統制は、自由主義的啓蒙思想に立脚する議会が常に拒みたい選択肢であった。モラル・エコノミーと啓蒙思想は、革命の両輪であった。だが、それは常に寄り添いあうものというよりは、相争う面ももっていたことを忘れてはならない。

「革命は銃口から生まれる」。毛沢東の見通しは正しいものであった。しかし、その銃口が生まれるには、あまりにも多数の複雑な要因が絡まり合っているのである。フランス革命研究は、ここまで進んでいる。しかし、その一世紀近くのちのイラン立憲革命研究では、まだまだその心性に言及できるほどの史料が揃っていない。人口史的経済史的社会史的研究はまだまだ端緒に付いたばかりなのである。

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