共同体と絆

  • 共同体とは、村を基準とした強固な「絆」の集合体という観念がなんとなく先行してしまう。しかしながら日本の近世村が、全国的に展開する職能共同体から、「町村制」下の地縁共同体への移行の結果成立したものとおもうと、先の観念は一方的に信じてはいけないものかもしれない。
  • イスラーム史においては、コーランに権力が由来することに応じて、統治者の公権力としての自覚は非常に強烈である。しかしながら公共事業(たとえば橋や道、水利施設)を執行することが実際に政治権力の仕事と認識される、このことが統治者の公権力自覚の一つのバロメータとして考えると「公」の担い手がどこにあるか、よりはっきりする気がする。イスラーム史においては、公共建造物はワクフ財というきわめて特異な形態をとることがおおく、比較を著しく困難にしているかもしれない。なお、公共事業を担うということに公権力の目覚めをみるならば、それは日本やヨーロッパでは中世末期、中国に至っては人民共和国期である。そして「公」が被統治より統治の側により多く担われているとき、国家はより国家らしくなる。そこに国家の本質がある。

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