イスラーム史料の電子化

前近代イスラーム史においてもっともポピュラーな史料は年代記と伝記である。史料の記述はきわめて整形的であるが、たとえば中国の紀伝体史料に慣れた目などからみると、あまりに事務的に過ぎるようにも見える。

もちろん史料は史料であって、それ以上の何者でもないので、史料と史料を重ね合わせ、その間を歴史家が推論してはじめて一つの物語―歴史観と歴史叙述が完成するわけである。

この重なり合いの部分を発見するのが実に困難なのも事実である。原因は、第一にイスラーム史料における校訂・刊本化の作業がそれほど進んでおらず、なにはともあれ不確実な写本に頼らざるを得ないという現状、第二にそれらがあまりに膨大な量におよび網羅的な年表作成がきわめて困難であるという点にある。

先に記述が整形的であると述べたわけであるが、そこに目のつけどころがあるのではないだろうか。写本というのは一般に数種類の写本が現存し、それぞれに微妙な差異がある。校訂という作業は、これをいちいちつき合わせて原本の史料を復元する作業であり、気の遠くなるような緻密さと時間が必要となる。そのように考えれば刊本化が進んでいないのは当然といえるが、写本そのものをXML化し、これに必ずOBJECTとして写本のフィルムをつける、というのはどうであろうか。適切なDTDを記述すれば、写本段階である年代や、ある人物についての一定記述を網羅的に表示する、などのことが可能になるはずである。そのようにすれば共同作業としての校訂も可能になるし、なにより一人の人間が史料を読み解くことがより容易になるのではないだろうか。工具類の習熟に20年程度が必要になるということは、あまり効率的ではない。もちろん円熟しておればこその作業もあるだろうが、一方で史料へのアクセスの壁に阻まれて歴史を研究できない害も大きいだろう。

東洋文庫や、東京大学東洋文化研究所で、アラビア語、ペルシア語、トルコ語の文献索引のシステムが考案されたり、イスラーム地域研究第6班によって資料の収集が行われている。前者はアラビア語における格・性・分詞変化の解析システムさえ整えば全文検索システムとすることができるのではないか。ここで一気に電子化してしまうのも一つの手であろう。

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