夜は波音に吸い込まれた

昨日にひきつづき夜中呑んでいた。

まず2, 3回海岸を散歩する。空はいまや晴れ上がり、北斗七星が明瞭に認められる。海岸は案外に明るいものである。海は暗いが、海に反射した月の明かりが空を照らすからである。

しかしながらまた、海岸は空が広い。天球の天球たるゆえん――すなわち夜空の丸さを実感できるのだ。星々に吸われるように皆がだまりこくる瞬間はなかなかに訪れない。

部屋に戻って、塾生新聞の今後について語り合う。新聞のマインドと情報のマインドがいまやネットワークの活用次第でせめぎ合う構図ができる。そしてネットワークは物的限界が極小化され、すべての範囲を包み込める。ここにこそ塾生新聞が慶應の枠をこえて「慶應ブランド」として生き残る道も含まれているようにさえ思える。もっともそのためには塾内の情報を産業化できるほどの技術と活力が養われる必要がある。そして長期的な塾生新聞の存在意義を考える、というそのことが後輩にも流れていっていることを実感して満足感を得た。

ブランデーを瓶半分ほどあける。飲み過ぎのためだろうか、午前中はもうろうとしてしまった。午後。後輩の車に便乗して家まで送ってもらう。感謝。その後、クラナッハへ。24時間前にも同じ場所にいたことを考えると、合宿はぴったり24時間の旅であったらしい。

疲れ果てて早めの就寝。

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