寒風に盾を

今日は朝から三田のキャンパス前で新聞をばらまく。相も変わらずはりつめた受験生たちの表情。新聞をう けとってくれる率は毎年徐々に低下傾向にあるという。どうしてなのだろうか? これは情報化の結果なのか、それともむしろ突然にふれあう情報を価値のない もの、と捉えているためなのだろうか。私たちの新聞としては二次の面接対策、最終確定倍率、補欠合格の打電予想日の予測などきわめてオリジナルで価値のあ る情報を提供していると思う。受験前でもせめて周囲の空気を相対化する程度の余裕を受験生には求めたい。

ひとり佇んでいて、ちょっとよくないことを思い出すと、人一人ぶんの思いこみなどすぐに砂の城のようにさらさらと崩れてしまう。寒い風が吹きすさぶ 中、風に逆らってただただ歩いていると、その傾向はより強くなる。一人でいたくないときは、ある。時に、私の周囲に私を知っていてくれる人がいるのをとて もうれしく思うこともある。静かで意思が疎通しているのかなんなのかさっぱりわからなくても、時間が「共にある空間」を流れていることを実感できることは 幸せだ。書物の世界にどっぷりと浸りこむことでも、この感覚は得られるが、逆に孤独の感覚を本はうすめてしまうのかもしれない、と思った。

日経1面。「2000年地球人は」。フランスのピレネー山脈沿いの、カタルーニャとフランスの二重文化に属しているエーヌ村が、フランスからの離脱とスペインへの帰属を求めているという。たしかに地方分権は独立以外に「国を選ぶ」という視点も導き出すのだということを知った。これは市場原理に基づけば当然のこと。国家もまた国際政治上の唯一のプレイヤーからの企業や個人のレヴェルまで押し下げられようとしている実感がある。

職人の顔。喫茶店「カフェ・クラナッハ」に左官職人の常連さんがいる。深く刻まれた皺と柔和な表情、するどい目、江戸弁のしゃきっとした口調はまさ に職人そのもの。少々話を交わす機会があった。土のことに始まり、ビルの廃材の利用、ビジネスチャンス、処世訓など独特の話をうかがうことができた。そし て思ったのは、社会観や国家観などの「ものを見る目」というものは、職人の世界をひたすらつらぬこうと、学問の研究に邁進しようと、その結論はきわめて妥当性があり、説得力をもつものになるの だということだった。実業の世界にはいると学問の立場が失われ、嘘臭くなるというなんとなく抱いていた一面の甘えを捨て去らせてくれた。そしてまたセミ ナーなどでどうしても目が企業の世界に漬かりがちなところで、企業の世界をたかい専門性から相対化させてくれたことに感謝。

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