突風の一日

昨日早め(といっても午前3時)に寝たにもかかわらず、ずいぶんと寝過ごし起きたのは15時であった。今日友人がカナダに発つ。見送りに行こうと思っていたのだが、まったくかなわず。悪いことをした。この上は彼女が実質上学生生活最後の春休み!を充実したものにすることを祈る。 どうも考えると私はアメリカとカナダは永遠に行かないような気がする。帰国したら根ほり葉ほり当地のことを聞き出すつもりだ。もっともパスポートと航空券 をもって成田になど行ったら私も突発的にどこかに行ってしまう危険がある(笑)ので行かなかったという説明も可能である。

そういえば久しぶりに夢を見た。内容はどういうわけかキセルとか細かいことでやたらめったら逃げ回る夢である。最近、私自身がさまざまなことから逃げているという反省があるためだろうか。いやな夢を見たものである。なんとかアグレッシブな生き方に転換しよう。

家を出てみると空気が冷たく、風が氷の礫のように肌を刺す。異様に寒い。

就職のハガキだのメールだのでデータが輻輳して訳が分からないので、データベースを作成して見た。その結果分かったのが異様なまでの大企業志向。かつ業種的にはほとんど節操なし。いわゆる就職失敗組の典型的な形である。さもありなん、と思う。しかも私が気になるのは送付されてきたパンフレットやWEBのデザインだ。というわけで「美」をキーワードにしている東急などに好感を持つ。非常に美しい資料がやはり目を引く。

いろいろな企業の社員紹介で一日のスケジュールなどを紹介しているが、どこもかしこも残業だらけではないか! コンサートに行っている余裕も本を読 む余裕もない。そんなところに潜り込んだら歯車になってしまう。仕事は自己実現の一手段に過ぎない。だから拘束は好むところではないのだ。まったくもって 大企業というのは度し難い。

パンフレットネタ二題目。金融を中心に、各企業でパラダイム転換のさなかの社員に求めるもの、といったことを紹介している。なにか世の中がすさまじ くいきなり変わるかのような印象を受ける。ところが歴史を勉強していればこんな転換はしょっちゅう起こっていることをしることができるし、ここ20年ほど の日本が価値観などが固まってしまっている異常な社会であったことも知ることができる。だいたい企業自体の生命力がせいぜいのところが50年。国家でさえ100年程度のものなのだ。そんな目から見れば、いつだって事態は異常なのであって、平和な日常なんてものはない。就職活動する側もこんな売文句にのっかって、意味のある企業をもとめようとするけれど、しょせん企業は企業であってその中でプレイヤーになったところで社会は自動的に動いていく。 ばかばかしいことにこの就職難に一流企業に就職できた自分を自賛するような動きさえあるという。大局をみたりするにはあくまで「学」の目が必要だ。パラダ イム転換と騒いでいるのは、企業も社会も学に遠すぎたために出てきた結果だ。個々人が企業内のプレイヤーとして生きていくかたわら学を見据えていれば驚き 騒ぐことなどなにもない。学を象牙の塔の別世界などとして、学者を行動力のない馬鹿よばわりする方こそ、後世の史家にただの歯車扱いされるだろう

「みずほ」のパンフレットが来ていたのでちょろちょろと読む。リテールの世界では顧客からの感謝の言葉がなによりの報酬だという。そうだろう、と思 う。同時に日本でのサーヴィスを受けた側の無反応が気になる。「客」としての役割というものをもう少し、考えた方がよいだろう。良いことには良いことへの 感謝、悪い点があればその指摘。そういったコミュニケーションがサーヴィスをする側とされる側の間にもっとあってよいと思う。ヨーロッパは手紙社会だとい う。その手紙を通じてサーヴィスのコミュニケーションがさまざまに行われる。

客は次回のよりよいサーヴィスを期待して、企業を育てる役割も担っていることを忘れてはならない。お互いに無関心になることが社会と企業を停滞させると思う。

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