抜けるような空の下

昨日は夜から朝にかけて延々ととりだめておいたドラマをひたすら見つつブランデーなぞを断続的に呑んでいた。おかげで少々二日酔い気味。目もちょっと泣きはらした感じになっている。「クラナッハ」で珈琲を飲んで落ち着こうと思う。いつも通りコスタリカとバタージャムトーストと日経。

土曜おきまりのネタX-NIKKEI What’s New? から行こう。お題は「ジモティー」である。ジモティーとは郊外のターミナルをおもな活動拠点として、その地域で生き生きとする地元志向の若者を言う。例えば、柏。柏はストリート・ミュージシャンが多いことで5年ほど前から有名になっていたが、地元商店街との「共生」に成功。都心を頼らず、柏という中核都市をいきる若者が大変に増えたという。たしかに柏は高島屋、十河、丸井のほか書店なども申し分ないターミナルを形作っている。都心からこうした地域に回帰現象がおこっている、という記事だ。

私もいわゆるジモティー志向だが、場所は本駒込を中心とした文京である。ここで注意しなければいけないのは都心からの回帰現象ではなく、本来の都市機能の分化が正常に起こっているということだ。都心が都心たらずただの繁華街化した80年代こそが異常だったのではないか、と思う。そしていま都心は都心らしさを回復しつつあり、私の愛する都心が形成されつつある。

ところでジモティーという言葉は8年くらい前から耳にしていたように記憶している。はじめは単なる地元民という言葉であったのだが、ここですこし機能が変わったようだ。ジモティーという言葉はもともとは慶應義塾から始まっていると先輩から耳にしたことがある。本塾の文学部東洋史学科のバックパッカーが海外の旅行先の「地元の人」という意味で、ペルシア語/アラビア語の「~の人」という接尾辞[i:]を「地元」という日本語にくっつけてジモティーという言葉が出来たという話だ。

続いてArt & Visualから「気分はなんとなくカタカナ」。70年代の「ぴあ」を代表とする柔らかさ志向のひらがな流行、80年代前半の保守化による繁体字/旧かな流行、80年代後半からの欧文志向、つづいてフランス語という流れを受けて、ここで急激にドラマ「ケイゾク」をはじめとしてアーティストの名前、曲名、etcにカタカナの流れが広がっているという。原因はデジタルとレトロの二つの雰囲気をカタカナが持っているためだという。前者は記号的であり新しさをもち、後者は戦前の法/文などでレトロさを想起させるとのことだ。これが近未来のレトロ/デジタルを併せ持つというイメージと合致し、さらにインディーズ・フォントによるカタカナ字体の洗練、和み志向の若者が好むカタカナ特有のスカスカ感があとおししてこの傾向が出てきていると分析している。ついで記事でフランス語に続き中国語の進出も目立つという。

こうした流行は概ね五年スパンとなっている。次は何だろうか。アラビア文字? うーん。オリエンタルになりそうだ。

昨日、おもしろい体験をした。夜にファミレスのカウンターで珈琲を飲んでいた。となりに女性が座ってきて、「その灰皿、一緒に使わせてもらえます?」という。私は「言って、持ってきてもらえよ」とか内心思いつつ、「いいですよ」とか言って、灰皿を差し出した。なんともぎこちない会話であったが、同じ灰皿に違う銘柄の吸い殻が転がっているのを見ると、ちょっとどきどきしてしまった。案外にいやらしい構図であることを知った。

夕方、町田の先輩の家で、送別会があった。小田急で鶴川まで一時間ほど。多摩川を越えると緑が多い。多摩丘陵の丘の街に先輩の家はあった。心持ち都心より温度が低いだろうか。久しぶりに夜、暗い場所に行った。たわいもないことを話して飲み続けて朝を迎えた。

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