帝国の心

試験終了でなんとも張りのない日を過した。ほぼ一日中本を読んでいた。主に現代中国関連の書である。中国のナショナリズムの強さはいったいどこに起因するのか?

多民族国家であり、またその膨大な人口蓄積の上にある統治方式はどう考えても「帝国」たらざるをえない。ところが現在の中国、あるいは中国人民の心には国民国家志向がきわめて強いのである。最近の大阪での南京大虐殺否定集会は中国に大きな波紋を呼び、一部では日本ボイコットも起こっているという。ところが日本人の大多数はこれを一部の暴走と知っており、国家とはすぐれて無関係であることを知っている。ところが中国ではこれを「日本人は……」=「日本は……」というall or nothingと思考しがちであり、そのまま「日本は侵略的であり反省がない」という思考になるである。

ここで私が議論していること自体「中国は……」で始めているので説得性が弱いが、多様性を認める基盤が弱いとしかいいようがない。これをもって統一志向といいたいのである。すでに世界経済大で考えれば国民国家は小さきに過ぎ、民族問題などを考えたとき「国民」化、単一化は時代遅れであり、国民国家は大きすぎるのである。としたら緩やかな連帯にもとづいた連邦-いいかえれば良性の心性としての帝国が将来的にも有望視しうる(あえて注意して置くがここでいう帝国とは、帝国主義近代国民国家の帝国をいうのではない。むしろ帝国主義とはきわめて近代国民国家的現象なのであり、これらの近代帝国主義の議論を前近代の帝国に当てはめることは歴史を歪曲することになる。その意味で帝国主義とは妙なイメージを植え付ける微妙な言葉である)。その意味で国民国家的基盤が弱く、その制約にがんじがらめにされていない中国は逆に可能性を秘めていると言えよう。にもかかわらず国民国家を志向させる2世紀に亘る歴史は皮肉としか言いようがない。

明日からいよいよ二月。例年通り「櫻史」を読む時期が来た。寒さの中、梅が徐々に紅さをまし、やがては万橢として咲き誇る櫻の時期を迎えるのだ。

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