辺境と改革開放の今 ~現在の新彊ウイグル自治区をケーススタディとして

本文書は、廃棄済みです。甚だしい認識不足が非常に多いので、閲覧はおすすめしません。

はじめに

まず本稿が非常に整理されておらずメモ段階にとどまっていることをおわびしなければならない。三田祭に向けてのテーマ整理としてとらえていただきたい。

高橋先生にご意見を伺ったのが九月上旬ということでやっつけ仕事的になったことは否めず、憶測や出所不明が多い。参考文献リストはほとんど役に立っていないし、注も九月十五日時点で身の回りで確認できるもののみを採っている。特に雑誌論文に関しては一切無視しているとの謗りは甘んじて受けねばなるまい。稿は後期最初の研究会にて再配布するつもりであるので、その時点で出所をはっきりさせたい。

重ね重ねの不注意、怠慢であり、言葉もない。

国家にとって文化とは、民族にとって文化とは何か?

人はアイデンティティというものをもつことになっている。そしてまた人は社会を形作っていきる。そのときに「我々」と「彼/彼女ら」を識別するときにアイデンティティは使用される。

それは時に民族と呼ばれたり宗教と呼ばれたり国民と呼ばれたりする。「想像の共同体」「創られた伝統」を待つまでもなく、それは「想像/創造」の代物である1。しかしながら歴史学上どうであろうと、政治的に文化のアイデンティティがどのように働くかは、今現在「彼/彼女ら」がどのように自分をカテゴライズしているか?「我々」とは誰であるのか?この点に絞られるのである。

このことは様々な因子によって規定されている。外部の共同体に属する人/物との関わりやコミュニケーションの濃度、歴史的記憶、今現在の経済的豊かさ、教育による統制、などなどである。

そして「文化」とはこれらの総体である。物/書として残るいわゆる「文化的なるもの」とは異なる。ある民族であるというアイデンティティを主張したいグループは歴史的遺産としての記憶を掘り起こし、あるいは作りだし、共同体の求心力を高めようとする。そしてまた国民としてのアイデンティティを主張したいグループは「普遍的文化」による生活の向上などによってアイデンティティを新たに獲得させ共同体の求心力を高めようとする。

これらの力のベクトルはテンでバラバラの方向に働いてしまうのは当然である。あるグループにとっての求心力は遠心力であり、その逆もまた真である。再び戻るとその力の源泉こそ「文化」であると言える。

本発表の目的

少数民族地域としての辺境

言うまでもなく中華人民共和国は多民族国家であり公認の少数民族だけでも56を数え、約8%を占める。多くは辺境にすむ。中国は古くから漢族の都のある東部を中心とし、人民共和国の発展も、人的資源が豊富でかつインフラストラクチャーの整備された黒竜江省から広東省へ抜ける軸線上を中心に発展してきた2。また中国の地形は、西に高く、東に低い。そして改革開放の波は、沿岸部から洗い始めた。メディアは内陸部と沿岸部の発展のスピードの違いを報道している。

しかし辺境はまた帝国の時代とは違い、国境に近く、かつ隣国に近いと言うことを意味する。改革開放は国境の壁を低くしたであろう。その結果はどう出たのだろうか?

また中国内で少数民族であったとしても、たとえばイスラームの国際的エネルギーは大きく国境を越えるに違いない。

改革開放下、少数民族の彼/彼女らはどのような文化を受け入れ、どのように動くのだろうか。

新彊の性質

私たちが新彊という地域を選んだのは何よりも、ウイグル人の存在にある。彼らはチュルク系であり、中央アジアのNIS諸国(タジキスタンはイラン系。もっとも中国にもタジク人はいるが)やロシアのいくつかの自治共和国(ダゲスタン、バシトルコスタン、タタールスタンなど)と根を同じくする。

そしてまたムスリムであること。イスラームは言うまでもなく世界宗教であり、全世界に十億を越える人口を抱えている。しかもイスラーム共同体を宗教として規定し、国民国家とは衝突する場合がある。東南アジアでの華僑と現地ムスリムの軋轢も含めて中華人民共和国とトルコ系ムスリムマイノリティはどのような関係をもつのか、という視点が浮かんでくる。その意味で、漢化したムスリムあるいはイスラーム化した漢人であるところの回族は別の視点となろう。

さらに新彊は長い国境線を持ち、「開放」は実感があろう。しかしながら逆に内陸部であり「改革」の波はなかなか届きにくい、とされている。

これら非常に複雑な地域であるが故に、多少ジャーナリスティックな好奇心も容れると、非常におもしろい様々な言説が浮かび上がってくる。現在の政治状況に密接に関わっているだけに、資料的には研究者でさえ近寄れないことが多く、現代史的な立場からの研究は非常に難しい。本稿では「見方」を紹介する形で、少数民族-文化―国民国家-中国共産党の連関の一部でも入り口を開いてみることが目的である。

国民国家としての中華人民共和国

中華人民共和国は言うまでもなく国民国家であると自ら考えているし、国際連合の過去の発言からも「主権」をかなり重視していることは明らかである。しかしながらこの際国民国家としての統合を考えると、何を前提にしているのだろうか。

中華民族という民族はあるのであろうか? 民族は自決すべきなのだろうか? そして一方でウイグルもウイグル民族なのであろうか?

世界の様々な場所で「民族自決」の矛盾が吹き上がっている。しかしながらこれを全て許容することは現体制にとっては崩壊を意味することになる。逆に中華人民共和国は「帝国」なのであろうか? 一概にそうとも言えない部分もある。

そも漢民族自体が雑多なアイデンティティを持っていることも、その言語状況からみれば明らかであろう。曰く福建人、広東人、etc.。改革開放以降につづく地域多元化、地域重層化を見た場合この巨大な国家が国家たる所以は何であろうか。その意味でもまずエスニックマイノリティを見ることに意味があろうと思う。また改革開放をむしろ対置して文化大革命の清算-テイクオフと考えたとき、多民族国家はにどのような動きを示しているのか、という意味もあろう。

毛沢東は現在の中華人民共和国のなかの民族を「中華民族」と総称した3。中華民族とは通常中国境域の諸民族を指す。一義的に漢族を指すが、広義には中国人である。費孝通によれば

  • 中華民族は56の民族を包含する多元性を持ちながら、また実態としては一体となる民族である。
  • 中華民族は数千年に及ぶ諸民族の接触、混淆、連結、融合の歴史の中で成立してきた歴史的実在である。
  • 中華民族の凝集の核となったのは漢族であり、諸民族との錯綜し変動するプロセスを経て、現に見える多元一体の有機的関係を築き上げてきた。
  • 中華民族は、即自的な民族実態としては早くから存在していたが、自覚的な民族実態となったのは、西洋列強に対抗する近代の反植民地運動を通じてである。

としており、中共中央の見解と考えてよい4。つまり逆に言えば、反植民地の旗が消えた今、中華民族は保たれうるのか、という話になる。1949年、人民解放軍が進駐し、新疆が中華人民共和国に組み込まれた後、国民国家中国の一部としての状態が固定化した。政治面においては、漢族を中心とする共産党の下での一元的支配が確立し、トルコ系諸民族の社会・文化も社会主義化のみならず、宗教面等における政策を通して、急激な変容を被った。イスラーム法(シャリーア)の通用する「イスラーム社会」は終わった。また、「内地」から新疆への漢族の大量流入も、当地域が中華人民共和国の不可分の一部となったことにともなう政策の所産であると言える。「解放」直後にはウイグル族の20分の1にしかすぎなかった新疆における漢族の人口は、50年後にはウイグル族人口に接近し、人民解放軍を加えれば、ウイグル族人口を凌駕すると言われている。このような事情は、政治・社会・経済などあらゆる面における変動の主要な源のうちの一つとなってきたのである。

一般的言説

政治的ファクター

トルキスタン独立はなるか?~民族主義

トルキスタン分離独立運動の字が時に新聞紙面などに踊る。この動きは一般にはトルキスタン民族主義ということになる。チベットと同様である。このときの民族主義を見てみたい。

中国の革命過程自体民族主義の色が濃い。清末の運動はある意味漢族復興の旗としての「中華ナショナリズム」であった点が指摘できる。そして新彊での民族はどのようなものだったか。

トルキスタンのトルコ系民族のアイデンティティは革命にいたるまで、二層的であった。すなわち「ムスリム」と「~オアシスの住人」というレヴェルのものであった。つまり彼らは「中国人」でもなければ「トルキスタン人」でもなかったのである。要はトルキスタンなどという言葉も創られたものである、ということである。

文化大革命で、民族的特徴やイスラーム信仰など、トルコ系諸民族の独自性が圧殺され、彼らは困難な状況に陥った。しかし、80年代に入ると、民族・宗教政策の明確な変更にともない、イスラームの復権や民族文化の強調などが目立ってきた。また、「改革・開放」政策に沿う形で、辺境部の新疆においても経済発展が見られるようになった。しかし、90年におけるアクト県バリン郷のウイグル人と公安との衝突を始めとして、様々な事件が発生し、盛んに報道された1997年2月のイリにおける事件へと繋がっていく。他方、1991年のソ連邦崩壊・中央アジア諸国の独立は、隣接する新疆を取り巻く状況を一変させている。

しかしながらこの見解には最初に述べた点が意外と重要になろう。すなわちトルキスタン人もまた民族主義者の創った「神話」であるということである。またウイグル人も革命過程で創られた言葉である。そうなると一般の人々が求めるのはその支配の質の差である。中央は経済という「普遍的価値」にその求心力を求めようとしている。そして分離独立を願う人々ははじめに「民族」そしてそれを補強するために「イスラーム」を求めようとしている。次項以下これを検証する。

インターネット遠隔地ナショナリズム

ちなみにアンダーソンの言う遠隔地ナショナリズムに非常に強力な道具が現れている。言うまでもなくインターネットである。中共中央はメールをいちいち確認することもできないし、電子化というビジネスの方向を考えたときに禁止もできない。現にトルコ共和国、ロンドンなどにウイグル独立同盟、東トルキスタン民族解放戦線などのHPが立ち上がっており、活動している。これを中国内から見ることができるのである。

イスラーム復興は中国に及ぶのか?~宗教文化復興

中央アジアをイスラーム復興の波がテロルとなってあらわれている。イスラームは信徒共同体全体として「ウンマ」=イスラーム共同体を指向する。その定義はイスラーム法が行われる地である。これは近代国民国家とは相容れない。イスラーム復興は様々なレヴェルに現れるが、民族主義と結びついたときそれは抑圧する異民族対ムスリムという形に帰着しやすい。

中国にはイスラーム系の民族が多く、そしてウイグルもまたイスラーム系である。彼らが人民中国を貧しさしか与えない、と考えれば、隣国たる中央アジア諸国のように独立したいと考え得る。ましてや人民共和国は文化大革命でイスラームを抑圧した国家である。

中央は警戒するもののイスラームの火が一度つくと大変に消しにくい。文化がイスラームの原点を求めるときにこの動きがおこる。しかしながら本当に大衆はこれを求めるだろうか。どちらにしても元々商人が多いウイグルからすれば、国境が大きく開かれ、同時にロシアの崩壊とともに独立国となった隣国を往復するうちにイスラーム復興の動きが中国に流入してもおかしくはない。

中共中央はなにを目指しているのか?

先ほども言及したとおり、中華人民共和国の「愛国主義」は現世的利益があってはじめて功を奏するものなのである。南巡講話に代表される改革開放の動きは、大衆に豊かな消費生活を保障することであり、国境の向こう側と比べて自分たちの方が貧しいと感じたとき、国家は崩壊してしまうのである。中共中央はイスラームの流入、民族主義をおそれつつ改革を進めねばならない。そして開放は必然的に国境の壁を低くする。そこから流入する独立への動きは経済という普遍的な「豊かさ」のみをもってしか押さえることが出来ないのである。むしろイスラーム復興運動はすでに資本主義を知っているだけに、このレヴェルまでも対抗できる。

経済的ファクター

新彊は貧しいのか?

新彊は1997年の中国統計年鑑では一人あたりGDPが5904元で全国12位であり、平均を上回っている。また少数民族に関しても漢族と比べさして遜色はない。この理由はまず鉱物資源及び油田開発に求められる。続いて国境貿易の発展である。

両者とも改革開放に沿った動きといえる。そして民族も都市部ではかなり雑居するようになってきている。ある程度漢語が理解できるものは都市部で「都市化」しているとの指摘もある。そこで生活向上を見た場合、はたして中共中央の政策への信頼として少数民族は動くのか。あるいは豊かさに裏打ちされた文化アイデンティティの目覚めをおこすのだろうか。さらにあるいは民族の坩堝として、あたらしい文化を芽生えさせるのだろうか。

辺境貿易は何をもたらすのか?

改革開放は1992年の「三沿貿易」構想を生んだ。これは沿海開発、沿江開発、沿辺開発の促進を進めるものである。すなわち内陸貿易をも国家プロジェクトとして推進しだしたと言うことである。

それは上述したとおりである。新彊の国境貿易は中国全体から見ればほとんどたいしたことがないが、額では九十三年から連続して上昇している。旧ソ連とのバーター貿易は消滅したが、逆に中央アジア諸国と生活物資(メリヤス、軽工業製品、食品)を運び往来する商人が増加したためであること。ウルムチからカザフスタンに抜けるいわゆる「シルクロード鉄道」によることも多い。また国境通過自体が増加したことに求められる。

これはとりも直さずトルコ系民族の融合をも示すことになり、情報量の増加はなにをもたらすのだろうか。

中央アジア諸国とは?

シルクロード鉄道によって繋がっており、言語的にも極めて近いことからその往来の増加は統計に現れるものと思われる。実際国境通過数は97年において92年の倍近い。一時中央アジア諸国で消費品不足につけこんで中国品が大量にもちこまれ社会問題化もしている。

国家間関係では概ね良好である。その理由としては権威主義体制をひく中央アジア諸国にイスラーム復興への警戒が強く、その点で中国と連動していることがあげられる。そして次が天然資源の相互利用、互恵である。トルクメニスタンの天然ガスは非常に豊富であり、新彊の石油も重要である。双方の発展にとってエネルギーはいやがおうでも重要なのである。そこで強調しつつイスラームや分離独立の運動には否定的、という政治文化が共有されており、逆に民衆の地下レヴェルでは結びつきが強くなってきている。

運動は改革開放とどのような関わりがあるのか?

以上縷々述べたとおり、改革開放は国境の壁をひくくし、同時にある程度の地方裁量を認め地域多元化を則すものとなっている。

その意味で新彊ではイスラーム勢力が浸透しやすい風土が形作られ、また住民への宗教弾圧的圧力も弱まった。一方で改革開放が新彊を貧しくした、あるいは貧富の差が大きくなったというのは思いこみにすぎない(新彊に限ってであるが)。

大衆に運動がどのように浸透するかはいまもって不明である。

国際政治的ファクター

ユーラシア大国としての中国

中国は一種「帝国」であるとみることも出来る。ユーラシアに君臨する東の帝国である。帝国は辺境をもち、さまざまな文化を皇帝のもとに融合させて統治する。

シルクロード鉄道で結ばれた中央アジアに影響力をふるい、中東への出口を持つためにはなんとしてでも帝国を維持しなければならない。北のロシアと南のインドに挟まれたこの地域に細いくさびを打ち込み続けるために、中華ナショナリズムによる求心力以上に帝国としての力の維持を目標にせざるをえない。

エネルギーの中央アジア

そして工業化のエネルギー確保のために中央アジア、新彊は失えない。大慶油田が枯渇しつつある今、中国の中央アジア、イランへの眼差しは真剣である。イスラーム復興や民族主義をおそれるのはこの生命線をたたれかねないためでもある。チベットはその先兵となりうるわけで、より重要なのは中央アジアとみるべきである。

イランの対中国のまなざし

たまたま私がイランを地域研究の一つとしてみているのでイランの中国への接近がめざましいことがしれる。宮田律によると、中国は国連安全保障理事会の常任国で、国際舞台において米国とは一定の距離を置く政策をとっている。中国と米国のぎくしゃくした関係は、イランから好意的に見られ、イランは米国と中国の関係を「新冷戦」と呼び、歓迎する。また、仮に中国が西方での安全保障を確実にしようとすれば、中央アジアや中東、インド洋における不安定や、これらの地域への米国の影響力の浸透は重大な脅威とならざるをえない、という。

中国はイランに武器を供与することによってイランの中国への支持を期待し、イランを米国に対する「同盟国」と見なすようになっている。また、中国が経済発展を遂げるにつれ、中国は外貨と石油を必要としていることは明らかである。他方、イランは、中国と米国が円滑な関係でないことを、イランの孤立を緩和するものとして歓迎せざるをえない。またNATOが東進すればロシアはイランと中国にますます接近する。 また前述したとおり改革開放に必要なエネルギーは石油である。さらにイランと中国は石油以外の経済分野でも密接な関係を構築しようとしている。西側と円滑な経済関係を結べないイランは、経済的苦境にあるが、この点でも中国との経済交流は重要である。両国は、90年代に入って経済関係を拡大しているが、近年の中国の経済発展は、イランのモデルであり続けている。実際、中国からイランへの輸出は89年の4800万ドルから90年の3億2100万ドルに増加した。中国が経済発展を継続し、その人口が増大する限りは、中国はその産業と人口を支える石油をますます必要とすることは明らかで、イランと中国はその経済交流を拡大する。であろう。

今後の新彊の道

独立は?~中央アジア連邦への道

この道はかなり怪しい。そもそもウイグル人一般に独立の文字があるかどうか、疑わしいからである。たとえば中国内部での人工圧力により漢人の流入と、摩擦が会った場合や食糧供給の不備があった場合などでは可能性があるが、これまでの反乱を俯瞰する限りでは農村部か山間部ばかりであり、都市部では目立った動きはない。

また当局の締め付けも厳格である。いかに「民族主義」と「イスラーム復興」が大衆の間に浸透するかが鍵となる。解放直前の「東トルキスタン共和国」の記憶をどれだけ掘り起こせるか? 逆に豊かさが浸透した場合では既存の経済関係の打ち壊しには都市住民は消極的になるという。したがって豊になれば自覚するというテーゼはそれほど有効ではない。むしろ民主化が豊かさに先行した場合に、民主化過程の運動は容易に反体制化することから可能性があるといえる

中華連邦への道

中共は統一前にはたびたび中華連邦を口にしている。しかし統一後は一転して自治区統治という形になった。しかしある程度いじょうアイデンティティの目覚めた民族集団を統治するのは難しい。旧ソ連のような硬直した形であるにしろ、清朝のようなかなり柔軟な姿勢をとるにしろ、帝国を維持するために連邦制を採用するであろうというシナリオである。これは「一国二制度」、中央の民主化などとの絡みがあり、可能性としては否定しきれない。

中国人としてのウイグル

中国人として一体化していくシナリオ。人民共和国がもっとも望むシナリオでもある。すなわち「中華民族」へと一体化してゆき、豊かさの中に文化的アイデンティティは沈み込んでいってしまうであろうと言うものである。これも一面的でありあり得そうもない話である。

反パクスアメリカーナのユーラシア-人民共和国

先ほどのイランとの関係に見たとおり、中国、イラン、パキスタンとインドの間の関係強化は関係を中央アジアやコーカサスに拡大することによって、これら地域の国々は西側への依存を弱めることができ、その中でイランと中国が主導的役割を果たすことができると考えてられる。イランと中国は、米国主導の国際秩序づくりに強く反対するが、仮にこれらの二国の関係が強化されれば、ユーラシアにおける米国の外交目標の達成に困難が生じる可能性は大いにあるといわざるをえない。

米国と中国の関係改善は、イランと中国の関係を疎遠にするものではない。むしろ両国は米国の圧力に屈しない実際的な外交政策を追求し、関係をより緊密にしていくであろう。

反パクスアメリカーナのユーラシア-イスラーム復興

こちらは仮に新彊がイスラーム化したというありそうもない仮定に基づく。さらにイランがハータミーの路線を退け再び保守反動化したときにアフガニスタンのターリバーン、パキスタンの核、中央アジアのゲリラと結びつき広大なイスラーム国家を樹立するというシナリオである。

中国研究へのフィードバック

上記したようにことは相当に複雑であり、かつ少数民族地域独自の問題とは言えない。特に中華民族を問うという点に着目する必要がある。

もし運動が激化したときの中央の反応はどうでるのか、あるいは今漢族一般(存在すればの話だが)はどのような眼差しをもっているのか。

甚だ興味深い点であり、大いに中華人民共和国の研究に資するものがあると考える。

参考文献リスト

新彊ウイグル関連のものに止める。イスラーム復興運動などは

  • 小杉泰『イスラーム世界』筑摩書房,1998

の巻末リストを参照されたい。

  • 天児慧『現代中国-移行期の政治社会』東京大学出版会,1998
  • 石井明「中国・台湾・チベット-中国の未完の国家統一」『講座世界史11:岐路に立つ現代世界』東京大学出版会,1996
  • 市川捷護・市橋雄二『中国五五の少数民族を訪ねて』白水社,1998
  • 王柯『東トルキスタン共和国研究』東京大学出版会,1995
  • 大崎雄二「中国の国民統合と「中華民族」」西川長夫・山口幸二・渡辺公三編『アジアの多文化社会と国民国家』人文書院,1998
  • 加々美光行『知られざる祈り-中国の民族問題』新評論社,1992
  • 栗原悟「中華世界の中のイスラム-中国における国民統合とムスリム系少数民族の動向」『海外事情』45-6,1997-6
  • 小島朋之『中国現代史-建国50年、検証と展望』中央公論新社(中公新書),1999
  • 小松久夫「中央アジアのイスラーム再生」小杉泰編『イスラームに何がおきているか』平凡社,1996
  • 新免康「「辺境」の民と中国」浜下武志編『周縁からの歴史(アジアから考える3)』東京大学出版会,1994
  • 新免康編著「越境する新疆・ウイグル」『日中文化研究』15 (『アジア遊学』1), 1999-2
  • 毛里和子「新中国成立前夜の小数民族問題:内蒙古・新疆の場合」『講座中国近現代史7:中国革命の勝利』東京大学出版会,1978
  • 毛里和子「新疆の「地方民族主義」をめぐる問題 1957-59年」『論集近代中国研究』山川出版社,1981
  • 毛里和子『周縁からの中国-民族問題と国家』東京大学出版会,1998

統計は中国国家統計局『中国統計年鑑』北京の各年版のデジタル化された「中国富力」を使用、EXCEL、SPSSを使用して解析。

脚注

  1. ベネディクト・アンダーソン(白石隆・白石さや訳)『増補 創造の共同体』NTT出版,1997,pp35-43
  2. JETRO『中国の地域開発II』JETRO,1993,pp.13-16
  3. 松本まさみ『中国民族政策の研究』(新潟大学博論,1997)出典:小杉泰『イスラーム世界』筑摩書房,1998 p.16 
  4. 費孝通「中華民族的多元一体格局」費孝通等『中華民族多元一体各局』北京,1996; 抄訳 村田雄二郎による「中華民族」の項:天児慧他編『岩波 現代中国事典』岩波書店,1999 ほかに大崎雄二「中国の国民統合と「中華民族」」西川長夫・山口幸二・渡辺公三編『アジアの多文化社会と国民国家』人文書院,1998

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