サンタチェチーリア

本日三田祭最終日。塾新でも役職選挙などの行事がある。

九時頃の起床。目覚めの感じで体調の回復を知る。FMにもゆったりと、耳を傾けることが出来た。

九時からのNHK-FM「クラシックサロン」の再放送は、「19世紀の宗教音楽」がテーマだった。モーツァルトやハイドンの宗教曲を堕落したものと して、新しい宗教音楽を提唱したチェチーリア運動の作曲家の紹介であった。僕はモーツァルトが苦手なので、グノーやメンデルスゾーンの並んだプログラム は、美しく荘厳でよかった。特にグノーの聖チェチーリアの荘厳ミサ曲は今度CDを買ってこようと思わせるものだった。フォーレのレクイエムに通ずるものが あるように思う。

三田行って、バイト行って、帰るつもり。が、子供が休んだ。バイト先までは空足、時間の無駄である。大井町線から見えた夕空の美しさが唯一の収穫。薄く青い空と赤のコントラスト。浮かぶ雲の光の反射。

三田へ戻って飲み会に行って、カラオケに行って、GLAYの曲の再認識を行う。旋律や詞が美しい。友達を連れ帰って、千石ラーメンを過ごして就寝。

休日らしく

今日はNHK-FM20世紀の名演奏は休み。黒田恭一さんの「さわやかの気持ちで、毎日を過ごされますように」が聞けなくて残念だった。かわりに音楽コンクールで合唱をやっていた。なぜに日本の合唱曲というのは気持ちの悪い「合唱のため」の曲が多いのだろうか。そしてなぜそれをやりたがる?もっとメロディーで勝負した方がいいと思うけどなぁ。おまけに宇野功芳のもったいぶったシャベクリまで聞かされてしまった。日曜喫茶室で、その垢を落として、珈琲を飲んでくつろぐ。

今日は両親が東京に遊びに来ている。17時に池袋で待ち合わせた。ビッグカメラでマウスを買ってから(実はマウスが無くて指がおかしくなりそうだった)ゆく。父は疲れ切っていた。やはり人の多いところはダメだ、という。僕もそう。何が嫌いって人が多いところ。でも、都会でなくては生きていけない、と思う。この矛盾、何とかならないだろうか。

夕食は久しぶりに、パスタのコースで豪勢に。HMVでチェリのチャイ5の輸入盤があったので、国内発売に先立って購入。名演だ。幸せを感じます。

今日は、本当に幸せに、満ち足りた気分で、ベッドに入ることが出来そう。

平穏なる土曜日

疲れが出たのか、起きたのは正午。夕方まで、本を読む。15時頃、近くのカフェ・クラナッハでバタートーストとコスタリカで、遅い昼食。時間をつぶして、サントリーホールへ。このころ、空が晴れてきていることに気づく。僕の心も明るくなれかし、とおもいつつ。

サン=サーンスはとてもよかった。久しぶりに心が浮き立ち、帰りにスーパーで色々楽しく買い物してしまった。神谷町界隈は何か呪縛力のある場所。気分が雰囲気を左右し、雰囲気が気分を左右する。

誰か友人を連れていければよかったのに。そういえば、高知へ帰省する、と誰かが言っていた。飛行機も乗ってみたいなぁ、なんて楽しくなった。

家へ帰ったのは、22時過ぎ。それまでは珈琲館でアイスココアでまったりしてた。で、長電話。とんでもない一週間が、何とか気分を好転させてから、終わった。

疲れを折り重ねて

部室にあった日本酒を知らず知らずの間に一本あけていた。と、気づいたのは、寒さに凍えて目を覚ました午前五時。ふたたび無理に眠るも、寒い部室では、ムリ。八時頃に起き出して、朝食は吉野屋の牛丼。消化に悪そう。空は相変わらずの曇り。私も相変わらずの機嫌の悪さ。

昼頃なんとか家へ戻る。午後からのバイトのためだ。炬燵でラジオを聴きながらまったり。この時間が余りにいとおしい。無断欠勤してしまおうか、と思うも、勇気が無く、結局スーツを着てお出かけ。

死にそうだ。

受け持っている高校生に大学入試の難しそうなところを拾ってやらせた。現代文は、問題自体人格に左右する可能性があるから怖い。本にある選択性が、実はない、ということに気づく。なんて、思ってたらまた貧血。

さっさと家に帰ってさっさと寝た。つもりが本を読んで、午前二時就寝。しかし暖かいベッドはなんとありがたいものか。

編集期間、塾生新聞のみなさん、おつかれさま。

病身を押し霖雨の東京を走る

慢性の風邪の様相を呈してくる。どうしようもない。熱も下がらない。口の中には、かすかに痰の味。ぞっとする。

昼頃、年末進行のような悪い状況に新聞編集が陥ってしまったので、三田と印刷所の連絡用にバイクで三田へ向かう。肌を切る空気が異様に冷たい。雨も混じり出す。東京の悪い空気と渋滞にさいなまれつつ、数往復する頃、編集もようやく先が見える。

今日は三田泊である。完全に時間感覚と、栄養感覚を無くしてしまった。三田祭の準備の進む大学を眺めて、感慨はなし。疲労がピークに達している。

やまい篤く泣き言

熱が下がらない。

頭痛がする。吐き気がする。だから何も食べない。薬が飲めない。……悪循環だ。やたらと青い空が恨めしい。何というのだろうか、蒼穹。

友人が明日山へ行くという。うらやましい。私は病身を押して今日も日吉である。相も変わらず美しい光を作る銀杏並木さえも恨めしい。新聞で私の記事が編集の都合で落ちた。恨めしい。

誰か助けて。

やはり熱。書物の傾向。

昨日までのだるさの原因が判明。なんのことはない熱があるだけ。でも一応学校に行って、英語に授業を受けてきた。日吉の銀杏並木も南西の方から、どんどん色づいて、金色に光ってます。帰りに見ると、夜の銀杏並木って言うのも、割とロマンティックでした。そうそう、やっと天気が良くなった。気分が天気にも左右されるから、晴れていて欲しいな、と思います。

池袋で旭屋書店に立ち寄り、書物を購入。グインの新刊と、ルビーを2冊。自分で書いておいた既読のブックリストを見てみたら、Juneとイスラムしか読んでないことに気づいた。もう少し視野を広げなくちゃ。平凡社ライブラリの白洲正子の新古今の本を読みたい。そろそろ美しさって何だろう?と考えなくてはならない気がするから。

塾講バイトの日の空

あいもかわらず、だるい。

今日の起床は、またまた正午。学校の存在があやふやになってくる。まぁいいや。仏語は休講だし。と、おもって寝たのである。

さて、起きたらまた雨。僕の気は滅入るばかり。

新聞は小ゲラといっていたが、今日はバイトのある日だ。ぎりぎりの時間にいやいや起きて、行って来た。子供を教えるのも因果な商売だ、と思う。

今日一つだけよかったことは……ひさしぶりに空の色が見えたこと。

ちょうど、東横線で祐天寺にさしかかった16時頃に、北の空を見ると、まるで地平線のように、雲とうすく染まった空が分かれていた。自由が丘についてもう一度見上げると、今度は南に虹。薄暮の虹というのが、これほど美しいとは思わなかった。

今日こそはちゃんと寝て、まともな人に戻りたいな、と思う。

だるさを感じて

なんとはない、このだるさはいったい何?

何をやっていたのか、床についたのはNHK-FM「朝のバロック」を聞きながらだった。目が覚めたのは正午ちょうど。生活リズムがやはりずれている……。

例によって、珈琲を3杯分、ミルにかけていれる。ラジオは、日曜の定番NHK-FM「日曜喫茶室」だ。今日はあんまりよく聞かなかったけど、くせになると、常連の池内紀の京都弁が聞きたくてたまらなくなる。

そのまま書物を読みさして、いつのまにか夜。明日の授業に備えてさっさと寝ようと思ったのだが、不可能。cgiと格闘して、午前4時台に至る。全く……。

暗い空の下。二の酉

朝。目が覚めても、カーテンをちらっとあけて、空の暗さを見たら、起きるのがいやになった。

何となくラジオを聴いているのか、聞いていないのかそのまま正午に至る。またカーテンを開けてみると、少し空の色が明るくなっていた。ようやく起き出して、軽いブランチ。のち近くの図書館に行く。次の本を借りた。読めるかどうか分からないが、おもしろそう。

  • エリス・ピーターズ(岡本浜江訳)『死者の身代金』修道士カドフェル・シリーズ9,社会思想社現代教養文庫ミステリ・ボックス,1993
  • ヴィタ・サクヴィル=ウェスト(田代泰子訳)『悠久の美ペルシア紀行』,晶文社,1997
  • 皆川博子『戦国幻野-新今川記-』,講談社,1995

カドフェルシリーズはどうも読めるときに読まないと先に進まない。暇を見つけて読んでしまおう。皆川は前から目を付けていたが、なかなか機会に恵ま れず、未読のままであった。また「ペルシア紀行」は明らかにイラン関係だから、さっさと読もうと思う。それからCDも借りた。以下の通り。

  • 山形由美(Fl.)「mistral」K32X 280(King Record)
  • 姫神「ZIPANGU」PCCR-00072(PONY CANYON)

で、図書館を出て喫茶店でブレンドでまったりする。お供にした本は、

  • 冬杜絵巳子『クィーラの花冠-至上の恋人-』,講談社X文庫ホワイトハート,1995

である。そこだけで読み終わり、わりかし満ち足りた気分に。

友人との約束で、サントリー・ホールでのコンサートに向かった。地下鉄駅にはいる前、ふと空を見上げると、うっすらと赤くなった空が雲の間に見え た。今夜は二の酉。帰りの電車でも熊手を背負った人を見る。これから忘年会シーズンだ。この妙なせわしさもまた、私の愛するところである。また年が過ぎゆ くのか。ああ。