網野善彦『蒙古襲来』(日本の歴史10)

私が読んだのは,網野善彦『蒙古襲来』(日本の歴史10), 1974.であるが,現在は図書館で読むことができるのみ.左にあげたのが現在もっとも手に入れやすい小学館文庫での再々版である.

永久保陽子『やおい小説論―女性のためのエロス表現』

博士(文学・専修大学)学位請求論文。

やおい小説研究にまがりなりにも入りかけた人間として、やおい小説研究はついに博士号が出るまでになったかという感慨をいだかざるをえない。しかも本書は、これまで多々出版されてきた読者と作者をめぐる社会学的分析、クラスタ的分析ではなく、テキスト分析の方法による論文である。これまでの作者・読者をめぐる社会的コンテクストに準じての議論の多くは、本当にやおい小説=テクストを読んだのか?という疑問を抱かせるものであったし、読んでいたとしても安直な思いつきじゃないか?と疑わせるような結論に失望せざるをえなかった。そして文学的な視角からはほとんど無視されてきたのがやおい小説であり、やおい小説をめぐる研究は、社会学の独壇場であったといえよう。本論文は浅薄な社会批評とは一線を画し、方法としてのテクスト批評にかなり自覚的である。当然、やおいマンガとやおい小説の差異についても考慮が払われている。みごとに読者とテクストの関係において果たされるやおい小説の機能を説得的に描出している(<受>とか<攻>、あるいは「やおい小説」そのものを知らない方は以下は読んでも意味不明だろうが、あえて記しておきたい分析なので書いておく)といえよう。

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ガブリエル・マンデル・ハーン(矢島文夫監修, 緑慎也訳)『図説 アラビア文字事典』

これまでアラビア文字の本というとカリグラフィーの作品紹介が多かったが,これはその基礎となる各文字ごとの書法を一般読者にもわかりやすく紹介している本.さらにアラビア文字とはいかなる意味を持つかもイントロダクションで示されているので,アラビア文字を知らなくてもその美しさを楽しめる一冊.またすでにアラビア文字の知識を持つものでもムハンマド・マフスーズのアラビア文字における「大文字」なども初回されており,かなり楽しめる.各文字の部分でも三十一書体の独立形がそれぞれ示されていて,かなり勉強になる.おしむらくは独立形のみということだろうか.また附録二の「アラビア文字で自分の名前を書いてみよう」のアラビア文字がどう見てもType3のギザギザなのが惜しまれる.

松田之利, 筧敏生, 上村恵宏, 谷口和人, 所史隆, 黒田隆志『岐阜県の歴史』

いたってオーソドックスだが,比較的飛騨が詳しいほか,岐阜県域で発生したことを基礎に歴史事象を取捨している点,「飛山濃水」(飛騨の杣と輪中の暮らしなど)という対比を常に生かしつつ通俗的なイメージの修正(飛騨の匠)をきちんとしている点がよい.正月の松本のブリが飛騨ブリであって糸魚川ブリ,越中ブリでないということは車以前の道と人の動きのあり方がわかっておもしろい.

『プロとして恥ずかしくないデザインの大原則』

悪くない.かなりコンパクトにまとまっている.MdNの普段の細かい特集がきちんと集大成された感じ.一冊もっておいて損はない.ただし54ページの図五と図六が入れ替わっているのは,このような本としてはかなりこっぱずかしいのではないか.

藤田達生編『伊勢国司北畠氏の研究』

戦国三国司家のひとつ北畠氏について.

やや考古学方面の論文が多いが,北畠氏の市庭である多気のあり方については教えられるところが多い.近年進展の目覚しい中世後期の都市研究の成果がようやく伊勢南部にまで及んでいる.政治的中心地に形成される城下町が必ずしも流通中心化するわけではなく,一円化の様相もさまざまであることがわかる.

本書は史料の引用も多く,特に「木造記」は全文が載ることから,きちんと読むに耐える書物である一方,一般向きではないかもしれない.

足立紀尚『牛丼を変えたコメ―北海道「きらら397」の挑戦』

きらら397の話。ただ題名にやや偽りがあって牛丼ときららの話は序章のみ。あとは稲の交配と北海道できちんと育ち売れる食味、耐冷性に優れた米がどのようにしてつくれたかが主題。そのあたりは北海道史や農業史をそこそこ知っていればわかる話で、新聞のコラムのような語り口がかえって信頼性を失わせている。とはいえ、いくつかのインタビューは貴重で、陸羽132号といって知らない人は読んでおいたほうが良い。

鈴木真哉『戦国鉄砲・傭兵隊―天下人に逆らった紀州雑賀衆』

戦国期の雑賀衆を論じたまっとうな本。史料もきちんと使っており、ビブリオグラフィも整備されている。いっそ注がついていないのがもったいないと思うくらい。残念なことに新書の悪い癖で題名が適切でない。

著者の言うとおり雑賀衆を扱う専論はあまりなくて、理解がやや俗説に近いところにとどまってしまっていた観はある。たとえば本 願寺との関係がそれで、雑賀衆はかならずしも護法の立場にたって一貫して戦国期を戦ったわけではないという指摘がなされる。実際、鈴木孫一は後年は豊臣氏についている。これは雑賀衆内部での社会結合のあり方や雑賀惣中を構成する五郷間の関係性も影響しているようである。

一読した限りでは、研究はまだ緒についたばかりで、鉄砲がどのようにして移入されたかなどはまだ考察の余地があろう。さらに根来衆と雑賀衆の関係も問題で、そもそも根来衆は根来寺衆徒である。近年まで両者を同一視する議論がたえないが、根来寺は新義真言宗であって浄土真宗ではない。著者の目はこのあたりにも行き渡っており好感がもてる。ただ願わくば新書ばかりでなく専論ないしは雑誌論文を書いて欲しい。

古川貞雄, 井原今朝男, 小平千文, 福島正樹, 青木歳幸『長野県の歴史』

室町期がよく書けている.あまりに些末でごちゃごちゃとしている時代だが,中世から近世への転換期の萌芽といわれる15世紀半ばを無視するかどうかで地方史概説の価値は決定的に変化する.

本書はただでさえ複雑なこの時期を信濃という小盆地分立の地域について外部との交流も含めて描き出すことに成功している.これまで読んできた県史の中でも中世史はかなり良い出来映えだ.

近世はやや記述が南に偏っている感.その分,中馬などに詳しいが,やはり『街道の日本史』に一歩譲る.その意味からはむしろ各藩政治史を詳述しても良かったのではないか.近代はもちろん蚕業を中心とするが,やや赤いのが難点.

須藤眞志『真珠湾<奇襲>論争― 陰謀説・通告遅延・開戦外交』

やたらと繰り返される真珠湾がローズヴェルトの陰謀によるという陰謀史観をただす書。すでに陰謀説はほぼ退けられてはいるが入門書など書店の棚を賑わすのは陰謀史観本ばかりだった。本書のように平易で説得的な書物の登場によって陰謀史観がこれ以上幅を利かせなくなることを望む。

ところで著者は鋭い指摘をしている。陰謀説はアメリカ側・日本側双方で人気があり、しかも響きあっているというのである。アメリカ側ではローズヴェルトの陰謀の犠牲となったアメリカ人、という視点から民主党を退役軍人会や共和党が攻撃するために、そして日本側では真珠湾はアメリカに炊きつけられたもので国際法違反ではない、だから日本に責任はないといった免責論のためなどが陰謀説の奥にある願望であるという。

著者の結論では、真珠湾は山本提督の大博打の勝利、しかし国際法違反、というものである。きわめて明快かつ史料的にも納得できる。ともすると太平洋戦争にかかわる議論はどのような立場からのものでも都合のよい史料ばかりが持ち出され、その中の都合のよい部分だけが引用されがちである。そのような立場を拒絶する著者のありようは立派である。

田村由美『BASARA』(全27巻)

実はBASARAはこれまで何回かアタックしていたのだが絵柄と登場人物の名前がどうにもなじめず1巻を最後まで読むことが出来ないでいた.今回はスッとはいることができた.話としては「天は赤い河のほとり」にやや近い.ただし完成度は「天は」に一歩譲るように思える.

朱理=赤の王,更紗=タタラが双方に認識されるまではあまりにひっぱりすぎだし,逆に認識した後,恋人は宿敵という文学上ポピュラーな主題における双方の葛藤の描き込みは足りない.また圧制者たる国王がなぜ圧制者たらざるをえないかがよくわからない.敵方にも事情があるはずで(夜郎組で表現しているがとても足りない).いかにして悪の立場に立ったのか.それを単なる悪者ですませてしまっているのは惜しい.

ジャック・ル=リデー(田口晃, 板橋拓己訳)『中欧論―帝国からEUへ』

「中欧」をめぐる言説史.文学や論説から思想変遷を追うので実際の政策はあまり関係ない.やや高踏的な印象を受けた.クセジュらしいといえばクセジュらしい.

黒羽清隆『太平洋戦争の歴史』

原著はもう20年近く前になるが,改めて読むと非常に良い本である.新史料の発掘で揺れ動く細部にはあまり立ち入らず,確定した事実を歴史として描き出す堅実な手法をとる.文がすばらしい.戦争まわりの書物はどうにもイデオロギー性の強い書物になりがちだが,本書は通史として冷静な視角,しかし広い視角が社会全体に注がれており,信頼に値する.

友清理士『イギリス革命史(上)―オランダ戦争とオレンジ公ウイリアム』

詳細な事件史をナラティヴに.といったコンセプト.『ローマ人の物語』に近い性格で,専門家ではない方が書かれているので,最近の研究動向的には問題がありそうな気もする.

あかぎ出版編『信越本線120年―高崎~軽井沢』

あかぎ出版という地方出版社の刊行した本.わりと今までに見たことのない写真があり,また郷土史的な内容も豊富である.「街道の日本史」の上州と東信州の巻とあわせると興味深い.

深井甚三『越中・能登と北陸街道』

表題の越中・能登の全域と高山盆地以北の飛騨を扱う.本巻では東西の道である北陸街道だけでなく南北の道および水運についてもバランスよく記述されている.本シリーズでは従来ひとまとめにされなかった地域をまとめて扱うことがあるが本書もその一冊である.このような場合,各地域ごとに個別の記述に終始してしまい,統一的な地域を描き出すことに失敗する場合が多い.本巻は実にバランスよく,かつ自然に各地域を往き来しており編集の質が高い.これは富山周辺の1郡を除く加越能がすべて加賀藩領であったことも理由となるかもしれない.飛騨もなおざりにはされておらず,高山が近世を通じ現岐阜県域内最大の人口をほこる都市であった背景が丹念に説明されている.

鄭大均『在日・強制連行の神話』

現在の在日コリアンは日本の強制連行の被害者である,といういつの間にかひろまった言説の虚構性・政治性を指摘する本.文春なので右よりのヒステリックな叫びかと思ったのだが,語り口も堅実冷静で良心的な学究の書物であった.もとより前述の言説は政治的にどうのような立場にある研究者でも今日では否定されている話だが,一般向けに解説したものがあまりなかったのも事実である.上述の言説を信じているひとは一度読んでおいたほうがよい.逆に知っている人にとってはそれほど目新しい話があるわけでもない.

ロバート・ベア(柴田裕之訳)『裏切りの同盟―アメリカとサウジアラビアの危険な友好関係』

CIAの工作管理官だったという人のサウジアラビア=アメリカ同盟の危うさを描く本.もとよりサウジアラビア王族の腐敗とかサウジアラビアの人口増加による社会安定性の低下は中東研究者にとって常識である.本書は石油と武器をめぐるアメリカ政界とサウジアラビアとの金の流れなどを平易に説明しておりその点では啓蒙書的役割を果たしうるだろう.

ただし各所にCIAの検閲による削除部分があったり,著者の記憶に頼った記述があり,信頼度については疑問を呈せざるをえない部分もある.それでもムスリム同胞団に注目し,一方でサウジアラビアのイスラームであるワッハーブ派を重要視し,両者の結節点として自力でイブン・タイミーヤにたどり着いている点は評価できる.学界と現実的政策の前衛たる工作員の結論が符合したことを示している.

本書でもっとも注意すべき点はムスリム同胞団そのものが秘密テロ組織であるかのように描かれていることである.ムスリム同胞団は現在ではきわめて曖昧かつ多様性をもった存在で各国でその様相は異なる.一方で政治的組織があり,テログループにきわめて近い組織もあるが,一方で病院運営や救貧などきわめて社会福祉団体的な役割を果たしている部分もある.ムスリム同胞団はもはや一枚岩で指揮系統が一本化された秘密結社などではない.

訳は平易で実に読みやすい.プロの仕事である.しかしイスラームやアラビア語についてはほとんど注意を払っていない模様で「アッラーの神(「の神」はいらない)」や「サイード・クトゥブ(サイイド・クトゥブ)」など許容しがたい誤記も散見される.長音関連のカタカナ音訳全般(フランス語も間違っている)にも信頼がおけないのは残念である.

青弓社編集部編『従軍のポリティクス』

青弓社らしい本.どこからどこまでカギ括弧の多いやや「現代思想」系の本.特に冒頭の加藤哲郎論文はいったい何を言いたいのかわからない.しかし読み進むにつれておもしろい論考が増える.従軍牧師(これは連隊に1人配属される宗教者のことで,もちろんイスラームのイマームもいる.全世界で13人,沖縄に1人いるらしい)の歴史的考察やアメリカ軍人日本人妻の今次イラク戦争時の聞き書きなどは非常に面白かった.

イラク侵攻においてアメリカ軍に従軍した朝日新聞記者のエッセイは,バランスが取れている.ジャーナリストの戦場での身の置き場によって視角が変わるということをよく認識している.朝日が駄目な新聞だからといって全ての記者が完全にだめということではないらしい.

またフェミニズムからの観察では,アルグレイブにおける一連の虐待は戦場における性別分業の逆転現象が起き始めたという指摘がなされている.女性兵士によるイラク男性の女性化は,これまでの戦場にみられなかったことで,戦場における母性や客体性という女性のこれまでのあり方規定も見直しが迫られているという.

全体として良書なのだが加藤論文のせいで空虚で高踏的な戦争批判本のようにみえてしまうことが残念でならない.