11/30: 死ぬほど忙しくて放置中
おひさしぶりです。そういうわけで放置中ですが、こんなものを書いていられるのですからまだしばらくは死なないはずです。ともあれ、これをずっと書いてきた愛機Thinkpad X31がお亡くなりになりました。これからはまかーとして生きていきます。そこで、MacBookPro。さようなら。Thinkpad。さようなら。IBM。
06/16: 小川克彦『デジタルな生活』
「日本の現代」シリーズ。本巻は家電や携帯電話、パソコンなどを通じて、1970年代ころからの社会の「個人化」(個人主義化ではない)が進んでゆくという視点をモチーフに現代日本の技術史・社会史を叙述する。それなりに細かい技術的解説もあるが、常に「日本の現代」というキーワードが著者の頭にはあったらしく、具体的かつわかりやすく話が進められており、IT史が陥りがちな単なる個別事例の集積や理念の列挙という失策を犯していない。この点が非常に高く評価できる。
とにかく読んでいて驚いたのは、本書の叙述の半ば以上が、ほとんど常識として私の頭に入っているということである。換言すれば、さして目新しいことがなかったということだ。普通、専門外の本なら概説書であっても目から鱗という記述がたくさんあるのだが、本書を読んでもそれがなかった。コンピュータ利用のサポートなぞをアルバイトでやっているわけだが、当人が思っている以上に深みにはまっているのかもしれないと思った。
06/16: 回復ある
13時ころ起きる。腹調子よし。お茶を入れ、お風呂に入り、事典に目を通して多少の本読み。『デジタルな生活』読了。雨があがったのでクラナッハ。[[Wp:イスラーム百科事典|Encyclopaedia of Islam]]のMuhammad Shahを翻訳。[[Wp:ガージャール朝]]ってのはしかし内乱が絶えない。千石図書館で本の出し入れ。17時半地下。ヤンマガはどこからどうみても職場に置けば、もはやセクハラ雑誌。ってか、こんなんじゃないと売れないの?
ヨーロッパ猫本とお茶の日報。証明写真のスキャニングは1400dpiでやりましょう(無謀)。絶対無理なFainal Data。えくせるしんぐ。金曜はうるさいし込んでいる。『嫌オタク流』読了。そこまでアナーキーな雰囲気漂わせるのもまた異常。21時地下。すし。食べても大丈夫だった。今日のア大統領と石油先物イラン先物。ニュースがないときはとりあえず誰かを叩いておくゲンダイ的メディア心理と読者心理。あゆみでグインげっとして23時半でにーじんぐ。ムハンマドその他の削除依頼が処理されたので編集。あやしげな場所は全部削ってしまう。ふぅ。すっきり。
06/15: さすがのアルジョマンド
11時ころ起きる。腹痛が続いている。へろつきつつ『街道の日本史』の続き。15時半クラナッハ。現況、靴の底が割れていて雨の日に外出するとあっという間に浸水する。早期復旧が望まれる。
16時半三田。さすがにアルジョマンド。短ページながらShadow of God and Hidden Imamの良質な抄訳といえる。しかしこの権威と権力の並立という状況とか、権威への執行機関の一部の直接従属というのは、朝廷=幕府の二重権力性とか[[Wp:統帥権干犯]]とかそういうものを思い起こさせて、妙に単純化していないかという危惧も感じる。[[Wp:サルバダール運動]]は「共和国」の語をあててしまってよいのだろうか。次に読むのは近代カリフ論。
18時。腹痛がひどいので課外授業は辞退してえくせるしんぐ。[[Wp:マームーン|マアムーン]]のために調べ物。背景が著しく錯綜していてハニャハニャだが、重要なことはよくわかった。21時、地下に戻るが誰もいず。うどん。また来たかという顔をされた。出ると急激な腹痛でヴェローチェでお手洗いを借りる。当然タダ遣いはわるいのでココア。読書。22時半帰る。でにーじんぐ。読書。帰宅してインチキ事典の査読依頼に大量にコメントをつけまくる。ちょっとフラストレーションがたまっていたのかもしれない。執筆者のみなさん、ありがとうございました。7時ころ寝る。
06/14: 徹夜明けの眠気は甘美にすぎる
承前。昨日は病欠とはいえついに欠勤をしてしまった。著しい自責感におそわれて、熱も腹痛も治まっていないが、移るようなものでもないので結局眠らないまま9時に三田へ。朝食はとても無理。半分意識が飛びかけていて危険な兆候もあった。しかしお仕事なので機械的ながらも着実にこなす。2年前に仕込んでもらったtexmf.confへのusertexmfパスの指定が初めて生きた。うれしい。地下のAdobe端末だけですがH:\usertexmf\以下にtexmfツリーを作ると全部反映されます。ついでに\userpackage{morisawa}すると信じられないほど幸せになれます。って、まぁ、そういうことで。
昼。SSのひとが帰るのにあわせてうどん屋。かけうどん。こんなもんしか食べられないが、食後はやはり腹痛。さらにこれが一段落したら異常な眠気。午後は質問もほとんどなく、時間の流れがやたらに緩やかだった。イランの現在なんぞを見ても全く時間が過ぎないのだ。一日以上とも思える時間を耐えてやっと18時。えくせるしんぐ。全然ダメ。茫洋とした時間。読書。20時、またしてもうどん。読書。『新編物語藩史』第1巻読了。22時帰宅。ひさしぶりにiMacの調整とか色々やる。やるうちにも眠気がどんどん蓄積してきて実に気持ちがよい。強烈な眠気で寝るのは大好きなのだが、こんな眠気は24時間くらい起きていないと襲ってきてくれないのだ。『南アジア史』を読みさしてそのまま熟睡。
06/13: 酒井あゆみ『売る男・買う女』
本書は出張ホストを中心に、ウリセンを生業とする男たちへのインタビューを集めたものである。ウリセンというのは1990年代半ばまでは、新宿2丁目で男性たちに春を鬻ぐ少年たちを指したが、その後ホスト・ブームなども経て女性たちにも買われるようになる。現在彼らはもはや男にも女にも売る存在となった。本書はこのような傾向がなぜ生じたか、それを男性たちに聞くことで知ろうとするものである。
残念ながらそのような著者の意図は成功しているとは思えない。インタビューを通じて「売る男」がどのような意識で売っているかはわかるし、彼らが「買う女」にどのような視線を向けているか、あるいは女たちが彼らをどうして「買う」のかについてどのように思っているのかという、それぞれの解釈は知ることができる。たとえば、彼らウリセンの世界では、男に買われた後に風俗にいって「禊ぎ」を済ませることが多いというが、女が男を買うのはその逆のパターンが多いといった解釈である。それはそれで面白い。
しかし著者はなぜかそれを総合的に分析し一定の結論を出すことをしないのだ。結果としてインタビューの垂れ流しとなっており、資料的価値はあるかもしれないが研究としては物足りない。もちろん「売る女」であった著者独自の視点は非常に際だった陰影を彼らの証言に投げかける。しかし、それも段々と著者が共感できるか、そうでないか、という方向に向いてしまい、最終的には自分語り/自分探しに近い叙述となってしまう。この点が残念であり、以前に読んだ同じ著者による『売春論』への違和感は本書にも共通するものである。
06/13: 喜多由布子『アイスグリーンの恋人』
本書の著者は「帰っておいで」で「[[Wp:らいらっく文学賞]]」第25回を受賞した北海道在住の作家。本書も札幌薄野を舞台に、交通事故で片腕をなくしいまや高利貸しとなった男性と、不幸な生い立ちを持ちつつも純真に生きる女性の恋物語。泣き系の純愛物というよりは、すこし昔の文学よりのタッチで描かれる。舞台の結節点となるクラブ沙羅の不思議さ、そして随所に織り込まれるが、しかし主張するほどでもない、北海道の気候、光景、習俗への愛着の語られ方が実に好感が持てる。ぶっちゃけトラウマ系の話ではあるので、群を抜いた傑作ということはできないまでもひまつぶしにはなろう。
06/13: 激痛にすぎる一日
9時半あまりの腹痛に目が覚め、トイレにいき、うどんをたべ、また寝床で苦しむ。ついに熱発を伴う。やはり風邪であったか。その後もひたすら苦しみ続け、あまりに苦しいので無理矢理本を読んで気を紛らわす。とても勤務できる状態ではなく、それどころか外にさえ出られず病院にも行けなかった。昼過ぎ一度寝付き19時ころ起きる。再び苦しむ。腹痛用の薬の備蓄を発見し、服用。多少収まる。再び寝床で苦しんだり、落ち着くために本を読んだりを繰り返し、いつの間にか朝。これで寝るとまずいので寝ない。とまれ、Yくんごめん。Yさんごめん。みんなごめん。
起床術成功。でにーじんぐでE.I.を見ていて、E.I.のCD-ROMにはいっている.htmlのデータが実はzipであることに気づく。さらにE.I.のインチキ割り当てフォントを一覧してみてUnicode化できることまで気づく。ということは、というところで時間切れ。学校へ。
続き。ある要素(なぜかフォーム要素)でくくられた内部の文字列を一定の変換テーブルに掛け合わせてやれば、正当なUnicode文書とすることができ、とんでもない不出来なSearch'97プログラムに頼らずとも簡単に検索できるようになる。いや、まて。Macに入れればSpotlightでいけるじゃないか。すばらしい。というわけで、いかにして一括変換できるか考える。美しい正規表現なら一行でできるはずだとひたすら考えるが挫折。だらだら並べてバッチすることにする。そうすると3行目で変換した正当になっているものが、15行目でさらにひっかかるとかいろいろな不都合が出来。一度、すべての変換すべき文字を私用領域まで飛ばしてから、もう一度変換をかけるようにしてみた。あとはいろいろ工夫してブラウザ表示が容易な数値文字参照と合成を利用するバージョン、Unicode検索が簡単なフォントにグリフがあろうがなかろうが関係なくUnicodeで書いたもの、さらにAnsiだけですむように特殊な転写を全て廃した3バージョンを同時に作れるようにバッチを書く。延々やって18時にだいぶ解決。さらにえくせるしんぐでいいとこまでもってく。
21時地下。大連。冷やし中華。Mさんに正規表現を相談。やっぱ現行でいくしかないか。明日さらにすすめることにする。23時もどり、寝る。24時突如おなかに激痛が走る。灰色の一週間の始まりだった。
06/10: 齋藤慎一『戦国時代の終焉』
以前から気になっていたもので、ようやく読んだ。タイトル(と副題)から思い描いていたとおりの良書。1574年の豊臣政権成立を決めた[[Wp:小牧・長久手の戦い]]と同時期の関東では[[Wp:沼尻の戦い]]が発生した。通例、本会戦は長陣にわたっただけでさしたる成果もないもので、北条氏と北関東諸族で戦われた一連の合戦の一つとしてしか評価されてこなかった。しかし、著者が本会戦の史料収集を進めるうちに当事者以外にも中央政権側や周辺諸侯など総計850点近くの史料が収集された。これらの史料批判により、著者は本会戦を小田原北条氏の関東一統戦略における突破口であったのみならず、東国における小牧・長久手に匹敵する会戦であったとする。つまり、[[Wp:織田信雄]]・[[Wp:徳川家康]]側が北条氏であり、一方の豊臣側が佐竹・宇都宮をはじめとする北関東諸族であったというのだ。
小牧・長久手ののち紆余曲折を経て徳川は豊臣大名化するが、北条は沼尻の合戦以降に得た政治的優位を利用して一挙に関東一統を図る。徳川という緩衝地帯の存在が、北条をして豊臣の圧力をやわらげ、結果的に[[Wp:惣無事令]]に反する秀吉の敵とさせてしまったのである。北条氏の滅亡に関しては、通例沼田真田領[[Wp:名胡桃城]]奪取事件がその契機とされるが、実に北条は小牧・長久手から一貫して秀吉の敵として秀吉側からは見られていたということが語られる。沼尻の戦いと小牧・長久手の戦いから北条氏は豊臣大名化するか滅亡するかの二者択一を運命づけられていたのである。これが「戦国」の終焉であって、もはや関東の半独立という「北条の夢」は少しく時代に遅れた物となってしまっていたのである。
以上のように本書は天正十年代、関東の政治史および関東=中央関係史を全面的に書き改める意義をもつものである。さらに藤木久志の諸論考の成果、あるいは使者の上洛にも莫大な資金がかかること、その徴収法などについてもわかりやすく散りばめ、大河ドラマ的な戦国イメージを多少修正する啓蒙的新書としての役割も十分に果たしている。新書とはかくあるべし、という近年珍しい出版であった。







