06/06/16: 小川克彦『デジタルな生活』
「日本の現代」シリーズ。本巻は家電や携帯電話、パソコンなどを通じて、1970年代ころからの社会の「個人化」(個人主義化ではない)が進んでゆくという視点をモチーフに現代日本の技術史・社会史を叙述する。それなりに細かい技術的解説もあるが、常に「日本の現代」というキーワードが著者の頭にはあったらしく、具体的かつわかりやすく話が進められており、IT史が陥りがちな単なる個別事例の集積や理念の列挙という失策を犯していない。この点が非常に高く評価できる。
とにかく読んでいて驚いたのは、本書の叙述の半ば以上が、ほとんど常識として私の頭に入っているということである。換言すれば、さして目新しいことがなかったということだ。普通、専門外の本なら概説書であっても目から鱗という記述がたくさんあるのだが、本書を読んでもそれがなかった。コンピュータ利用のサポートなぞをアルバイトでやっているわけだが、当人が思っている以上に深みにはまっているのかもしれないと思った。
06/06/13: 酒井あゆみ『売る男・買う女』
本書は出張ホストを中心に、ウリセンを生業とする男たちへのインタビューを集めたものである。ウリセンというのは1990年代半ばまでは、新宿2丁目で男性たちに春を鬻ぐ少年たちを指したが、その後ホスト・ブームなども経て女性たちにも買われるようになる。現在彼らはもはや男にも女にも売る存在となった。本書はこのような傾向がなぜ生じたか、それを男性たちに聞くことで知ろうとするものである。
残念ながらそのような著者の意図は成功しているとは思えない。インタビューを通じて「売る男」がどのような意識で売っているかはわかるし、彼らが「買う女」にどのような視線を向けているか、あるいは女たちが彼らをどうして「買う」のかについてどのように思っているのかという、それぞれの解釈は知ることができる。たとえば、彼らウリセンの世界では、男に買われた後に風俗にいって「禊ぎ」を済ませることが多いというが、女が男を買うのはその逆のパターンが多いといった解釈である。それはそれで面白い。
しかし著者はなぜかそれを総合的に分析し一定の結論を出すことをしないのだ。結果としてインタビューの垂れ流しとなっており、資料的価値はあるかもしれないが研究としては物足りない。もちろん「売る女」であった著者独自の視点は非常に際だった陰影を彼らの証言に投げかける。しかし、それも段々と著者が共感できるか、そうでないか、という方向に向いてしまい、最終的には自分語り/自分探しに近い叙述となってしまう。この点が残念であり、以前に読んだ同じ著者による『売春論』への違和感は本書にも共通するものである。
06/06/13: 喜多由布子『アイスグリーンの恋人』
本書の著者は「帰っておいで」で「[[Wp:らいらっく文学賞]]」第25回を受賞した北海道在住の作家。本書も札幌薄野を舞台に、交通事故で片腕をなくしいまや高利貸しとなった男性と、不幸な生い立ちを持ちつつも純真に生きる女性の恋物語。泣き系の純愛物というよりは、すこし昔の文学よりのタッチで描かれる。舞台の結節点となるクラブ沙羅の不思議さ、そして随所に織り込まれるが、しかし主張するほどでもない、北海道の気候、光景、習俗への愛着の語られ方が実に好感が持てる。ぶっちゃけトラウマ系の話ではあるので、群を抜いた傑作ということはできないまでもひまつぶしにはなろう。
06/06/10: 齋藤慎一『戦国時代の終焉』
以前から気になっていたもので、ようやく読んだ。タイトル(と副題)から思い描いていたとおりの良書。1574年の豊臣政権成立を決めた[[Wp:小牧・長久手の戦い]]と同時期の関東では[[Wp:沼尻の戦い]]が発生した。通例、本会戦は長陣にわたっただけでさしたる成果もないもので、北条氏と北関東諸族で戦われた一連の合戦の一つとしてしか評価されてこなかった。しかし、著者が本会戦の史料収集を進めるうちに当事者以外にも中央政権側や周辺諸侯など総計850点近くの史料が収集された。これらの史料批判により、著者は本会戦を小田原北条氏の関東一統戦略における突破口であったのみならず、東国における小牧・長久手に匹敵する会戦であったとする。つまり、[[Wp:織田信雄]]・[[Wp:徳川家康]]側が北条氏であり、一方の豊臣側が佐竹・宇都宮をはじめとする北関東諸族であったというのだ。
小牧・長久手ののち紆余曲折を経て徳川は豊臣大名化するが、北条は沼尻の合戦以降に得た政治的優位を利用して一挙に関東一統を図る。徳川という緩衝地帯の存在が、北条をして豊臣の圧力をやわらげ、結果的に[[Wp:惣無事令]]に反する秀吉の敵とさせてしまったのである。北条氏の滅亡に関しては、通例沼田真田領[[Wp:名胡桃城]]奪取事件がその契機とされるが、実に北条は小牧・長久手から一貫して秀吉の敵として秀吉側からは見られていたということが語られる。沼尻の戦いと小牧・長久手の戦いから北条氏は豊臣大名化するか滅亡するかの二者択一を運命づけられていたのである。これが「戦国」の終焉であって、もはや関東の半独立という「北条の夢」は少しく時代に遅れた物となってしまっていたのである。
以上のように本書は天正十年代、関東の政治史および関東=中央関係史を全面的に書き改める意義をもつものである。さらに藤木久志の諸論考の成果、あるいは使者の上洛にも莫大な資金がかかること、その徴収法などについてもわかりやすく散りばめ、大河ドラマ的な戦国イメージを多少修正する啓蒙的新書としての役割も十分に果たしている。新書とはかくあるべし、という近年珍しい出版であった。
06/06/09: 佐伯弘次編『壱岐・対馬と松浦半島』
06/06/06: 高田明和『負け犬はなぜ早死になのか』
06/06/05: 三浦展『脱ファスト風土宣言』
06/06/03: 田上幹樹『快適習慣の落し穴』
06/06/02: 松本寿三郎・吉村豊雄編『火の国と不知火海』
06/06/01: 舛本哲郎, 小須田英章『JR語の事典』
Wedgeの編集者によるJRオーバービュー本。私は乗務用語などのジャーゴン集だとおもって借りてきたのでアテがはずれたわけだが、テツではなくて、かつJRのことを知りたい人には有用かもしれない。鉄分の濃い人にとってはあたりまえのことしか載っていないので読む必要がない。それにしても今日のJRの変わり様はどうだろうか。なにが生活総合サービス業か。エキナカなどといって駅内で商売っ気を出すなど鉄道業の本旨を忘れたかのような腐臭が漂っている。駅に人を囲い込んで改札から出さず、エキナカのチェーン店に人を呼び込もうとする試みで、やはり駅前はさびれ、ますます日本の地域の多様性は失われる。地域のあり方を維持したまま、いかにして地域間の風通しをよくしてゆくかが公益をも担う鉄道業の役割ではないのか。インフラが鉄道か道路かというだけで、郊外道路沿い大型店とエキナカで変わるところはない。せめてパチンコ屋を作らない良識くらい期待するのは無駄なことだろうか。