意識の発掘・覚醒・進展としての「公正論」


はじめに

今回は発表ではないので、これまでの発表を総括しつつ、かなり想像を膨らませて、叛乱の思想としての「公正論」を点描してみたいと考える。

ほとんど妄想に近いかもしれないが、一応大風呂敷をひろげる最後の機会ということで、個々の史料の検討ではなく、思想史的に「ありえたかもしれない」物語を描いてみることを目的としてみる。

叛乱の思想の一般史

叛乱の火の手は、世界史上つねに、どこかで燃え上がっている。そしてその叛乱の理由はさまざまであり、時に特に理由なく起こることもある。しかしながら民衆が叛乱の主体となり、理念を帯びた時、それは特別な意味を持ってきた。そして理念を持ちえた叛乱のありようはどのようなものであったのか。

叛乱は異議申立のうち、なんらかの政治的要求を実現するための実力行使である。そして民衆とは、闘いを生業にしていることはつねに少なく、近代の総力戦の時代がおとずれるまで、非統治者にとって「闘い」とはある意味対岸の火事であった。そのような非統治者が闘いに立ち上がるとき、それは強い要求が滲み出た身体的表現であった。

叛乱の理由はさまざまである。いわく苛斂誅求、裁判沙汰への不満、食糧不足……しかしそれはひとしく現状への不満と、そしておそらくはその現状に責任があると目される統治者への異議申立として現れる。そして人々は素手で、あるいは持ちえる得物をもって、日常ならざる騒乱に身を乗り出す。そこにおいて人々は立ち返り思う。さまざまなことを。どんなことを思うのだろうか。いま仮に思い描いてみる。

なぜ、叛乱を起こすのか?

まずは現状の認識から始まるのではないだろうか。これは現代的文脈から考えるとかなりおかしなことで、本来、認識している現状がその「あるべきすがた」から大きく外れているがゆえに、叛乱が起こるはずである。そして「公正」が持ち出され、なんらかの「おおやけ」の秩序への回帰を目指す。それが叛乱である、というのが普通の筋道というものであろう。しかしながら歴史的な文脈でどこまでそれが通用するのかを考えたら、これはきわめて怪しい、と私は思う。

なによりも煽る前に、叛乱は始まるのである。それはなぜか? 「日常」が立ち行かなくなるからである。変わることのない毎日の積み重ね、そして徐々に徐々に変化して来たとしても総体として積み上げられた日常の蓄積とそこに導き出された「作法」が作り出す世界。それが破られるからであろう。そしてその破られたものこそがまさしく「秩序」であった。

そして破れたとき、はじめて何らかの秩序があったことを悟る。いままでうまくいっていた。ところがうまくいかなくなった。では、うまくいっていた今までの「日常」とはいったいなんだったのか。ここに至る時、人は理想を求めることを発見する。「あるべきすがた」であったはずの「日常」という秩序を、である。

かくして彼らの行動は復活すべき「秩序」のための行動として正当なるものと、自己を納得させるのである。そしてはじめて事態が状況ではなく、理念の混入した行動によっても形作られてゆく。

叛乱を起こして「どうする」のか?

いまや、叛乱の理由―それはとりもなおさず正当性と直結した―が人々の手に入った。たとえそれが一方的な理屈であったとしても、である。そして次のステップに進む。なぜ、叛乱を「彼ら/彼女ら」に対して起こしているのか。そう、これも本来自明のことのはずである。しかし理由はいまや求めねばならないものになった。

第一の問いに答えるのは簡単である。彼らが統治しているから、である。そして難問に突入する。ここに政治思想の蕊があるといってよいが、ではなぜ彼らが統治しているのか、という問いである。この重要な問いを叛乱を起こす側が持ちえる、ということが事態として重要なのである。

彼らはなぜ統治しているのか。その疑問に至るとき、はじめて「公正」が持ち出される素因が形成されるはずなのである。公正なる神の秩序を築くために統治をしているはずなのである。であるにもかかわらず「秩序」は破壊された。このさい「あった」「秩序」が事実理念として公正であるかどうかは関係ない。破壊されたものこそ「公正なる秩序」だったはずなのである。

そして統治の側も故実によることなく、その疑問に答えるべく対立「公正」が発見される。かくして叛乱は、その落としどころをさぐる政治の場と化す。

どうして「そうしなければならない」のか?

われわれの求めるものは何なのか。そしてどのようになるべきなのか。それは「公正」の再発見とともに紡がれ始める物語となる。

その意味で典拠すべき幻想の「過去」が、いまテクストとしてあたえられる書物に「公正」という名を持ち、そして時代は次に進む。その意味でいえば「公正」とはかくあるべし、という理念を実行すべきという考え方であって、「かくあるべし」という理想状態そのものを示すものではないのかもしれない。

イスラーム世界における「公正」、コーランにおける「アドル」の用語法を考えることはこのことを傍証してくれるのではあるまいか。

抵抗権と統治の正当性

章を改める。叛乱は、近代法の枠組みから見れば、それは抵抗権の表出である。そして統治は、それまであった秩序、それそのものを作り出してきたことに意味を持つ。逆にいえば、秩序が新たなる状況に抜本的に対処しようとするとき、その秩序は崩壊しかけるのである。しかし、統治者にとってそれは状況のなかで人々を守るために必要な「公正」なる措置かもしれない。

ところが人々は秩序の破壊と捉える。そこに、そもそも民衆を守るという目的に合致した統治政策が、その守るべき民衆の求めるものと相違するという事態がたちあらわれる。

抵抗権が、神の名のもとに語られるとき、それは第二の統治権へと即座に変容する。そのことを見越したとき、法が定めるべきは、権力濫用における能動的抵抗権の否認であった。そして「よき統治」以前に統治が求められる政治思想は、イスラームにとどまらずジャン・ボダンの統治論にも共通する。すなわち抵抗権が限定的とされる世界においては、必ず国家は理念に超越するのである。

ここにいたって「公正論」がきわめて相対的な指標としての政治的「言語」であることが明らかになるようにおもえるのである。

公正なる秩序と個人、共同体

一般に近世における行政国家の成立を見るまで、行政という機能と、紛争の調停/裁断という機能は、未分離であり、それこそが政治的世界の中心をなした。そして後者は、権力の存立理念とつねに不離の関係にあったといってよい。社会の再生産のための秩序維持機構すなわち統治がいかにして存続できるか、という政治思想上の重大問題は、その指標として体制の正統性=倫理的正しさと、正当性=現実的妥当性を具体的に表出する必要があり、表出せねばなんの統治の意味もなかったのである。

そしてイスラーム世界はコーランにおいて統治者の倫理として「人を正しく裁くこと」が記されることからもわかるとおり、それはある意味「自明」であった。ここに問題が生ずる。

叛乱の思想で考えてみたように、叛乱と異議申立とは結果として異なる理念のぶつかり合いたらざるをえない。そして公正が神に与えられたものである以上、双方が求める「公正」に食い違いがあるとき、「公正」は解釈されなければならないことになる。

法の権能と公共

イスラーム世界の社会の秩序理念の第一にはコーランやハディースおよびその解釈からなるシャリーアがあるが、その一方で、行政は世俗実定法であるところの勅令や布令からなるカーヌーンによって運営される。しかし世俗法という言い方から想定されるヨーロッパのカノン法(教会法)のように聖界と俗界の別として考えるものでは当然ない。カーヌーンといえども、イスラーム政治の根本たるシャリーアによる統治に服するものである。

つまり常時「与えられた」秩序と理念が、イスラーム史を貫いている。これは一つの特異点である。

成文と解釈の中世法

これまで一般的に解釈して来た中世法の世界はきわめてヨーロッパ的、あるいは時に日本的である。なんとなく、その古さに秩序を覚え、その言語に生き、新しいことを「新儀」として廃しながらも、自らの理想を過去に投影し理念化し「伝統」を形作って革新してきた世界である。そのような立場から見ると、人ひとりひとりの立場が、神との関係においてきわめて峻烈に指し示され、世界観が世界的に統一されているということは異常でさえある。

その当初からきわめて明確な形で法のありようを持ち、かつきわめて早い時期に成文法の成立をみて中世を形作るイスラーム世界は、中国世界とならんで現代法哲学的にはきわめて特異の存在である。そして一歩その読み方を間違えるとヴェーバーの「カーディー裁判」的発想に陥ることになる。

神の法

人々の生活が中世的に人と人の関係によって規律され、結果として統治も人と人の関係となるという状況はきわめて一般的である。そのような状況では近世に至ってはじめて支配されるべき役割と支配する役割がそれぞれに自覚され身分として形成され、先述の「叛乱」的状況を通して、「我々」のあるべき姿を見出し、そこにいたってはじめて共同体が自覚される。

それはドイツ農民戦争の「古き法」が「神の法」へと昇華する過程と同様に、「我々に行われていた慣習」が「あるべき法」と化してゆく過程である。

ところがイスラーム法は、きわめて古くから「あった」。そして身近にあったとされる。当然、神のもとに水平的に広がる人間観はイスラームに共通であり、その媒介となるイスラーム法に服従するのがムスリムである以上、立法が「公益」に反するとして異議申立をおこなう余地はどこにもない。であるがゆえに、「法」そのものではなく、「法」をいかに実践すべきかが問題点となり、その実践が政治論となる。ここにイスラーム的「公正」論が近代国家成立の主権論へと発展する可能性がありえないことが示される。

変わる「世界」、そして寛容

解釈はつねに変化を呼ぶ。変化は、変化を重ね、それ自体が秩序を形作ることは論じた。ではイスラーム法が与えられたその世界で、変化を変化として生み出していった秩序そのものがイスラーム法の枠組みを抜け出ることはありえるのか。そしてその枠の外に「神の公正」が発見されることはありえるのか。

人々の公正、神の公正―正義はどこにあるのか?

成文としてコーランで詠まれる公正さが、措定されていればされているほど、人々は解釈を行い、人々の公正が生まれる。定められた理念は、理念の成長を阻む枷であるとともに、一方で常に再生産を呼び起こす理念の揺籃でさえある。イスラーム史上さまあまな公正観がぶつかりあい、すれちがい、まざりあってきたことは疑いえない。そして時の文脈にある程度支配され解釈されるものであったことも疑いえない。

ではそうであればこそ、いま、文脈的な意味ではなく、イスラームに一貫して根付いてきたとムスリムが考える公正とはいったいなにか。その言葉に仮託して何が語られているのか。

復古としての革新

過去に仮託して未来を語るのは、古今の政治思想の常套手段である。過去を読む、という積極的な主張はつねに現状に対して唱えられる。それはつまり現状への変更の意思である。

であるがゆえに、語られる過去には注意が必要であり、同時に語られる過去は、きわめて現在に近いといえる。民主主義と公正に関わる議論はまさにそこに撞着するのである。

すれ違う正義

現実のズルムな社会と対比してアドルな社会が語られ、その実現を目指すということが、政治的に非常 )な社会と対比してアドルな社会が語られ、その実現を目指すということが、政治的に非常に重要な目的となっているからである。そしてイスラーム復興の枠組みの一つでは、民主主義こそがアドルな社会の実現の一つの手段とみなされるのである。しかしながらその民主主義とはわれわれの目にする民主主義を直接指しているわけではない。

正義の本質

公正論、そして正義論が語られる、その文脈こそが正義の本質である。それは常になんらかの目的をもち、なんらかの統合性をそなえた理念である。統治の正当性と正統性とは、それがあったがゆえに統治がはじまったのではない。統治があったがゆえに正当性と正統性とが語られるのだ、という実に無視すべからざる政治哲学がある。しかしこれを事実として理解しても、それで人々が納得することはない。ならば無視すればよいのである。そうすることによって現実の社会はなりたっているし、常に正当性と正当性は、語られることによって現実の政治をなりたたせている理念だからである。

悪の統治も、統治なき社会よりましとされる理由はまさにそこにある。本質的に統治は必要なのである。しかし必要をこえ、それ以上の統治を目指すとき必ず語られねばならないのである。

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