またも暑い

反起床術的。しかも家の庭で殺虫剤の散布などしているのに全く気づかなかった。クラナッハ経由、16時半ころ地下。イスマーイール派のお勉強。18時えくせるしんぐ。19時おあぞ。えぐい写真集。20時でにーじんぐ。矢島文夫さん訃報関連。だらだらだらだら……23時ころ帰る。街道の日本史、熊本。もう私は半分以上やられちゃってるのかもしれません。

舛本哲郎, 小須田英章『JR語の事典』

Wedgeの編集者によるJRオーバービュー本。私は乗務用語などのジャーゴン集だとおもって借りてきたのでアテがはずれたわけだが、テツではなくて、かつJRのことを知りたい人には有用かもしれない。鉄分の濃い人にとってはあたりまえのことしか載っていないので読む必要がない。それにしても今日のJRの変わり様はどうだろうか。なにが生活総合サービス業か。エキナカなどといって駅内で商売っ気を出すなど鉄道業の本旨を忘れたかのような腐臭が漂っている。駅に人を囲い込んで改札から出さず、エキナカのチェーン店に人を呼び込もうとする試みで、やはり駅前はさびれ、ますます日本の地域の多様性は失われる。地域のあり方を維持したまま、いかにして地域間の風通しをよくしてゆくかが公益をも担う鉄道業の役割ではないのか。インフラが鉄道か道路かというだけで、郊外道路沿い大型店とエキナカで変わるところはない。せめてパチンコ屋を作らない良識くらい期待するのは無駄なことだろうか。

『アボカド バンザイ!』

アボカドを多少ポップ風味に紹介する本。100ページ強で1400円と少々高いが、ブックデザイン・レイアウトにすぐれた良書。完全な料理書ではなくて、レシピは全体の半分ほどでちょうどよい分量。内容も2人分表記となっており、またアボカドは1/2からの使用なのでそれなりに実用的。日本のアボカド農園の話やアボカドグッズなどの紹介、種から育てるアボカドのコーナー(観察Blogをつけている人がいるらしい!)もあって楽しい。書棚に飾れる料理本である。

6月になったら急に暑い

半起床術。9時起き。予報を見るとえらく暑い一日になりそうだ。今日は半袖にする。アボカド本だのJR本だの読んでからクラナッハ。千石図書館で本の出し入れ。15時三田。ゼミ。サーマーン朝貨幣の刻印は、流通を前提とした権威主張の政治的意図があったのか。一矢報いた人。アッザとクサイル。めんにんぐで学部生の人。またしても大連3階。諏訪之瀬島の明日。官途名。権威なき権威世界。山手で巣鴨。でにーじんぐ。やっとこさイスラーム世界の少年愛をトラブル含みで投稿。3時頃へろついて帰る。

福井県丸岡町編『日本一短い手紙-「愛」の往復書簡』

福井県丸岡町一筆啓上シリーズ。今回のお題は「愛」。ブレがでそうなテーマだとおもっていたが、これが意外にさまざまな切り口からのおもしろい投稿を促したようだ。いつもどおり、笑えるものから、読むのもいやになるくらい重いものまである。時間つぶしによいだろう。

記憶することなどなにもない

またしても起床術失敗。9時起き。学校直行。ちょっと仕事してすぐ昼。まくど。疲れたYさんとWさんを窓越しに見る。もどって翻訳その他。18時えくせるしんぐ。21時大連3階。食べ過ぎた。あまりに食べ過ぎたので直帰して、Webみて『愛の往復書簡』を読んでねる。

早慶戦の火曜日

起床術失敗。起きたが意識をなくして寝ていた。8時起き。でにーじんぐ経由11時地下。またしてもひたすら翻訳、がんぎずむの大盛り。ゼミ休講につき18時まで地下。えくせるしんぐ。翻訳。寿司。帽子の意味と歴史を読む。23時もどる。またしても倒れる。

里中哲彦『まともな男になりたい』

まともな男になりたい、と思いつき、まともな男とはなにか、との自分語りの書。まともな男はそもそもこんなもの書かないだろうと思うのだが。自分のことを「小生」と書いたりするのもこっぱずかしい。さほどおかしなことを言っているわけではないのだが、随所に登場する名言の引用(やたら維新期が多い)や、借りてきたみたいで文章の流れを断ち切る衒学味のある漢語の使用などあまりほめられたものではない。阿部謹也の世間論や福澤先生の思想なども引かれるがどうも曲解しているふしもある。言いたいことはほとんど福田恆存が言っているようなので、そっちを見たほうが幸せになれるだろう。

また一週間がはじまった

また月曜日かという思いとともに起床術的に5時起き。でにーじんぐ。10時地下。図書館で調べ物をし、街道の日本史とか借りる。あとはひたすら翻訳。早慶戦だというのに学部生が多く感じる。いまどきの学部生は何を考えているのだろうか。SSのひととがんぎずむ。超スーパー大盛り。えぐい。18時あがって、えくせるしんぐ。21時めんにんぐ。かえって寝る。

金子雅臣『壊れる男たち』

セクハラ本。著者は東京都の労働相談に長年携わった人。本書はその中のエピソードを紹介して、セクハラ問題を「女性問題」の枠ではなく男性問題として捉えなおす試みを行うものである。事例とそれを読み解く「第2章 男たちのエクスキューズ」が全体の半分を占める。

男たちは、私から見ればほとんどあり得ないようなDQNっぷりを発揮する。たとえば「あれは同意だった」というエクスキューズがよく登場するが、これは女性側の本気の抵抗をも「女性はものをはっきり言わず、気を引くためにいやがってみせるもの」という本質主義的蔑視感が背景にあるという。たしかに読み進めば読み進むほど、人としての存在以前に女性であることをまず持ってきてしまい、その視線で女性を見る男性のあり方が浮き上がってくる。

ことの背景には、男性の性的逸脱・放埒に寛容な社会の存在と、その寛容性の後退があったことが指摘される。すなわちセクハラは例によって社会問題化しただけであって、存在そのものが急増したわけではないということである。おそらくその通りであろう。しかし、見るところ、弱まったとはいえ、いまだに社会は男性の性的逸脱に寛容である。たとえば酒席のあとの二次会に上司が「フーゾクにいこう」などと言いだし、そこで反対した部下を「空気が読めないやつ」として扱うなどの事例は、私も時に友人から聞くことがある。「浮気は男の甲斐性」などとうそぶく男に、これが二重のセクハラとなっていることなど理解できないだろう。部下の男性へのセクハラであると同時に、「空気」なる放埒さを当然とする思考自体が、職場に対するハラスメントであるのだ。

ジェンダーフリーは急進的フェミニズム同様、非常に嫌われる言葉である。しかし、本書にあらわれる男性たちの行動の前提となる、社会的慣行およびその解釈の是正と考えるならば、十分頷けるものである。男女共同参画を考える際、どうしても男性中心社会への女性の進出という点からばかり論じられ、そして、名簿の読み上げ順だとかそういう形式面ばかりがやりだまにあげられてきた。だが、もう一方にも本質があることを忘れてはならない。すなわち女性中心とされてきた世界への男性の参画である。いまだ、主夫としてのあり方をまじめに希求する男性は誤解を受けている。さらに男性社会へ進出した女性からもあざけりを受ける。これもまたセクハラに近い思考の視線にもとづくものだ。ジェンダーフリー概念は「男性的生業」の女性への開放を意味するのではない。「女性的生業」の男性への開放もまた意味する。

話が逸れた。男性の性的逸脱・放埒に寛容な社会がセクハラの蔓延を生んだのは事実だが、一方でそもそも男性が性的逸脱・放埒に走りやすいのかどうか、という点は議論が必要である。街を歩いていて目をひく女性が歩いていて、チラリとそちらに目を走らせる。ほかの男性がどうかは知らないが、私はそのような経験がある。そしてこれが性的なものではないか、といわれると絶対的に否定できるとはいえない。このような視線を向けてしまうような性向があるいは男性全般にあるかもしれない(ないかもしれないが)。そんなことがあると、不愉快な気分に陥り、自分のいやらしさに嫌悪感を感じるのだ。

著者が言うに、セクハラ男は「男たちの逸脱は理性では押さえられない、説明不能な本能的なものとしてあらかじめ思考停止されてしまう。そうした前提で、『それは許されるはずだ』という甘えた主張が『それは仕方がない』にな」るというのだ。その通りだろう。私が思うに前提は正しい。セクハラをするしないの分岐点は、その前提を承けて仕方がないから許されると思うか、それほどどうしようもないのだから、さらに自分を抑えようという努力をするかの点にあると思うのだ。そして同時に時に自己点検すること、自らの言動が、他者から見てどのように見えたかという共感性をチェックするのだ。これはセクハラに限らないが、いずれハラスメントは必ず共感性の欠如から発生する。「私はセクハラはしない」という安心は陥穽にでさえあるかもしれないのだ。

やる気回復せず

早く寝たのに遅く起きた。しかも眠い。ありえない。というか酒飲んでねるといいことがない。

しかも今日はあちこちお休み。仕方がないので昼でにーじんぐ。思いのほか混雑している。本読み。17時。いやになって帰る。また本読み。英語版のインチキ事典の日本語インチキ記事のインチキっぷりが度をこしているので下手な英語を書く。23時寝る。

壊れたかな

実家に帰るとか帰らないとかの話があったが、起きたのが遅くかつ疲れていたので今日は見送り。クラナッハで翻訳とかしてから、夕方、千石図書館。出し入れ。まつや。空腹がいやされていない気がしてマクド。ジャンキー過ぎ。『壊れる男たち』を読む。家に帰って、だらだら。バグダード論争勃発。なんか眠くなって意外と早めに寝る。

玄田有史『働く過剰』

NTT出版の『日本の<現代>』シリーズ第12巻。玄田氏は『仕事の中の曖昧な不安』などですでに著名な労働経済学の研究者である。前半を若年層の労働問題全般に、後半を特にニートについて論ずる。本書では出所のしっかりしたデータを多数駆使して、客観的に問題を論じており、非常に説得的な仕上がりであるといえよう。しかしながら、この問題について、私にはそれなりの視点や知識を持っているわけではないので、備忘録的にメモ。

  • 即戦力重視とは企業の人材育成軽視の姿勢。あまりに短期的な業績に左右される人事・労働政策をとる企業であることを示しており、実際に業績と即戦力重視の度合いは反比例しやすい
  • 30歳代において過剰な長時間労働と無業の二極化が進みつつある。また統計的に「平均」のみを見ると読み誤る。また長時間労働の最大の弊害は能力開発の機会を奪うこと
  • 団塊の世代は就職時に高度成長、その後の石油ショックで転職もあり得ない時代に過ごすというタイミングのせいで結果的に長期雇用、年功賃金の恩恵を最も受けた唯一の世代
  • ニートといっても全てが就業を希望しない人々ではない。就業を希望しながら仕事を探していない「非求職型」について考える必要がある。また「家事手伝い」はその名目があるだけであって、実際上まさしく「ニート」と考えられる層であり、支援の手を伸ばす必要がある。
  • 就業を希望していない「非希望型」においても、2000年代の統計ではすでに低所得世帯の割合が上昇しており「あまやかし説」は一方的に妥当するものではない。
  • 経済的に高所得と低所得の家庭、そして親と子の関わりにおいて過剰な関与と放任という両面の二極においてニートが発生しやすい。
  • ニートになるのは「早寝、早起き」などリズムが出来ていないから。リズムに乗れば、意味など考えずに働ける。

あとがきで余談的に語られる大学論は興味深い。資格やスキルなどすぐに古くなる。大学で教えることではないし、そんなものは企業も求めない。わけのわからないことをわからないなりに取り組む姿勢、「「わからない」ということに対するタフネス」こそが求められるスキルであり、同時に大学で身につけることの出来るものなのだというのは全く同感であった。

金曜日で〆

10時半ころだらだら起きる。だらだらしてクラナッハ。ここまで同じ。17時半三田。がんばるFTのひと。人事異動。いろいろある。えくせるしんぐ。選書。打ち込み。20時半地下。髪型が変との指摘があった。肉。Office 2007はすぐそこ。23時でにーじんぐ。アラビア語人名の表記法。Windows95や3.1の背景壁紙はなんだったか?メジャーなランチャは?その他翻訳などして、かえって寝る。