慶應義塾のいま

ほとんど旧聞に近いものだが、慶應義塾長が安西氏にかわって、約一年半がたつ。あの塾長選は前鳥居体制に対する学部の総叛乱にも近かった。前体制は SFC=日吉を軸とした体制であったと目されたゆえに、学部の叛乱を招いた。すなわち三田の軽視といわれたのである。したがって、その後の人事刷新はすさ まじいものがあった。慶應義塾の子会社慶應学術事業会の湯川社長(前常任理事)、妹尾副社長への任期途中での辞任強要、両氏のすすめた丸の内シティキャン パスでの夕学五十講後期開講講座の全中止(三菱地所の圧力かどうかは知らないが今年はきちんとやっている)、塾監局の人事刷新などである。

体制二年目に入って、週刊朝日が昨年報道したような、ほとんど「パージ」に近い前体制の有力者の粛清はほぼ落ち着いたように見える。たしかに前体制 ではかなりの箱物が作られ、支出は増大した。それでも財務が決定的には破綻しなかったのは、むしろ小松前常任理事の手腕と言ってよいように思う。箱ものに は二種類があった。新規のキャンパス設置とキャンパス内建築の建て替えである。前者については議論がわかれるが、後者については、批判はあたらない。慶應 義塾の各キャンパスには慶應義塾百周年の1958年に建てられた建築が多い。当時の鉄筋コンクリート建築の寿命はおよそ50年といわれており、どのみち 150周年前後の2008年には全キャンパスで大幅な立替が必要なのであるし、もともと三田を最大限に生かすためにはどこかに建物を建てる必要があったの である。法科大学院設置による新棟建設が結局は決定されたのだから、実は方針は継続中なのだ。むしろ、ある程度のブランドを持っている義塾にとっては、箱 モノ以上に下手なソフトをつくる方が危うい。たとえば法科大学院と同時に戦略構想大学院が設置されるらしいが、いったいこれは何なのか。某法学部政治学科 教授も首をひねり、「法律学科とバランスをとったのではないか」と漏らしていた。

今年9月の金子郁容幼稚舎長の任期満了をもって、名実共に鳥居体制は義塾から消滅した。安西政権は、フォーマットは終えた。これから何をするのか。 法科大学院、戦略構想研究科、経営管理研究科の日吉から三田への移設がる。そして作ってしまった箱モノをどのように運営するのか。その答えはいまだ出てい ない。明確な構想なくしては、評議員の不信が高まらざるを得ないのだ。そろそろ色が出てきて良いはずなのであるが……。

念のため。私は湯川ゼミに所属していますが、上記のような話を湯川さんがされたことは一度もありません。すべて私の憶測ですから、注意してください。

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