台風の後、、、

朝、目を覚ましたら雨が窓にたたきつけていた。なんで雨降ってるのかな、と一度思ってから、そういえば台風かぁ、とか想いながら起き出した。ごはんを作りながらテレビを聞く。

少しすると雨はあがって、風もやんだ。クラナッハへ行く。ゆっくりと日経の紙面に視線を滑らせる。1時間ほどして帰ったらすこし眠くて横になった。 いつのまにか昼寝になってしまった。1300時ころに起きて千石図書館に行く。台風が来ていたとは嘘のような空だった。ほんとうは台風がきてわくわくして いた。籠城の構えだった。

千石図書館でぽーっと書棚を眺めていたら、ふっと小説が読みたくなった。江國香織『ホリー・ガーデン』と北原亞以子『東京駅物語』を借りる。両方と も世間の評価からいうと甘い話なのだけれど、私からしてみれば分裂気味の本の選択。全然ノリが違う。この2冊を借りたあたりから、発想が絶対におかしく なっていたんだと思う。江國をよむと妙にやりきれなくなるのをわかっていて借りた。図書館を出ると、空気が重く、熱かった。押しつぶされてしまうようだ。 早く地下鉄に乗らなくては。

地下鉄千石駅にもぐると、千石一丁目交差点のあの頭がおかしくなりそうな騒音と目のくらみそうな空から逃げることができた。電車もすぐきた。万事順 調な気分になった。借りた本は、まだ広げない。英語の本を読む。意識が半分すいとられたまま字面を追う。このtransitionっていったいなんだろ う……that?が……。七夕の夜空が頭に広がる。

いつのまにか、幻の門を抜けて、新図書館1階の閲覧室で勉強していた。本とブラインドできつさが取り除かれた光だけの空間。やはりゆっくりとアル ファベットの字面を追っていた。小難しいネタを読んでいるはずなのにバルカン超特急のretold版を読んでいるみたいだ。この図書館、変だ。時間だけが すぎて土曜日1800時の閉館だった。友達と後輩が、いた。

夕暮れとも何ともつかない空の下を麻布の方に歩いていく。肩に掛けた鞄のひもがいたくなってきた。辞書とかいろいろ重いものを持って来すぎたせいに違いない。高速道路の下の三の橋の下の古川をのぞいてみた。いつもの通り汚いだけだ。おもしろくない。

三の橋のバス停。溜池行バスはすぐに来た。いつもどおり五反田から来た。おかしな日だ。

サントリーでストラヴィンスキーとモーツァルトを聴く。休憩は寝ていた。めずらしく「ジュピター」が素直に耳に入ってくる。聞いてみると、やっぱり おかしな曲だ。どう考えたって動機同士、楽章同士、フレーズからして矛盾してる。普段と違ったことをしていると普段と違って聞こえてくるものなのかもしれ ない。右足のきつくしばった靴紐も痛くなってきたけれど、舞台が熱いから結び直せない。やっぱりおかしな昂揚だ。

こんな昂揚をひきずったまま、サントリーから引き上げ、山王パークタワーの下のヴェローチェへ。ついに江國を読む。想像通り、はなし全体を俯瞰して みるとすさまじく湿った世界であるのに、なぜか描写は乾ききっている。すさまじい乾き。きっとなにかの論理がかけおちているか、おそろしいまでの断定が多 いからなのだと思う。普通の論理の世界ではないのだ。ひさしぶりに読んだ。たいていは論理が先行して事象を読み解くものを読んでいるのですさまじい違和感 を感じる。言い方が違うかもしれない。素直に考えれば絶対に理不尽な考え方が、そのままぽっと、さも当然のように素直に言葉となっていること。これが怖い のかもしれない。単純さと複雑さは、考えているよりずっと近い。

江國が好きな人が私の周りには多い。この人の描く人たちの考え方は、私にはおそろしくなじまない。なんなのだろうか。人と人の関係が、単に自分だけ から波紋が広がってゆくようにしてあるだけなのだろうか。なにか、自分の見えていない範囲に、世界がある、という想像がされていないような感覚が広がる。 世界の見方が全然違う人たちが、ごく身近にたくさんいるのか、と思って打ちのめされた。

午後11時。南北線で戻る。山王パークタワーのシルエットが美しい。つとめるならこのあたりだ。溜池山王、永田町、四谷……。駅がだんだん過ぎてゆく。心意気のあった場所だ。漂う悲壮感がなんともいえない。足下をみたら右の靴紐が解けていた。

駒込のコンビニにふらりと入り、日本酒を買った。負けた、と思った。

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